2016年6月24日金曜日

合成生物学をベースとするビジネスの新しい潮流:合成生物学とは

 前回のGOクラブで紹介したように、Oxford Nanoporeは、DNA合成の新技術を開発し、小型ポータブルデバイスを用いて簡易にDNAを合成できるようになることを発表した。次世代シーケンサーの活用に加えて、DNAが簡単に合成できると、合成生物学分野の研究とビジネスの加速が起こるであろう。米国では最近合成生物学ベンチャーの活動が活発化しているが、GOクラブはこの新しい潮流についてシリーズ記事として紹介することとし、今回は「合成生物学の概要」について説明したい。


合成生物学とは

 「合成生物学」という語は、Synthetic Biologyの訳であるが、英語版Wikipediaには 、その定義については議論があると記載されている。多くの場合、Synthetic Biologyは、“The design and construction of new biological parts, devices and systems and the re-design of existing natural biological systems for useful purposes.”であると定義してよいだろう。
 オミックス研究の発展により、生命を全体論的に理解するSystems Biology(システム生物学)http://omics-club.blogspot.jp/2015/05/20150522.htmlが確立した。さらに、Systems Biologyの研究によって得られた知識や技術をも活用する「工学」としてのSynthetic Biologyが誕生した。このようなSystems BiologyとSynthetic Biologyの関係はLuiらの論文〔Front Microbiol. 2013; 4: 211. 〕にも的確に述べられている。わが国では、「合成生物学」を「構成的生物学(Constructive Biology)」すなわち「生命をより全体論的に理解しようとする学問」の意味でも使うこともある。その理由は、以前は、生命を構成する要素に分解して生命現象を解明する「従来の生物学」との対比で、英語圏では、要素をもとに全体を合成的に理解する「構成的生物学」のことをSynthetic Biologyと呼ぶ場合があったからである。

合成生物学のビジネスへの応用

  さて、合成生物学のビジネスへの応用であるが、主に微生物の育種に利用されている。植物などの高等生物を全体論的な観点から改良するという流れはまだ初期の段階であり、将来の課題といえる。ただし、合成生物学的手法を用いて大規模に改良した動植物や作物の実用的利用が社会的に許容されるかどうかについては今後議論が活発化するだろう。
 次世代シーケンサーによる解明された膨大なDNA情報をもとに、各遺伝子をパーツ化し、またプロモーターなど発現制御に関わる部品もパーツ化する。次に、これらパーツを組み合わせるようにして目的の発現システムをデザインする。このデザインをもとに、クローニングした各パーツを結合したり、合成DNAを用いて目的の発現システムを造成することが行われる。
 より具体的には、目的化合物を多数の代謝酵素の転換により合成するために、ゲノム情報から推定される酵素遺伝子群をクローニングする、あるいは合成DNAを用いて遺伝子を合成した後、酵素遺伝子を連結したユニットを発現制御することにより、人工的な代謝経路を再構築することが行われる。
 このようにして、目的の有機化合物を大量に生産する微生物を短期間に育種したり、あるいは食料問題、環境汚染問題およびエネルギー問題などを解決するための微生物を育種することを目標としている研究開発が多い。このような研究開発を推進するベンチャー企業は特に米国で多数設立され、活発な活動を続けている。

次回の「合成生物学」のシリーズ記事では、合成生物学ベンチャーを紹介したいと思う。

さらに詳しく知りたい人へ: 合成生物学誕生の歴史

  上記に、従来の生物学、構成的生物学、システム生物学および合成生物学の意味を概説したが、わかりにくい説明であったかもしれない。そこで、合成生物学の誕生を「科学」と「工学」の発展の歴史から、合成生物学の意味の変化を考察してみたい。
 「科学(Science)」とは、狭義の意味で自然現象を要素還元主義的に解明する基礎学問である。要素還元主義とは、複雑な事象でも、それを構成する要素に分解し、それぞれの要素を理解することにより、元の複雑な事象を理解しようという手法である。
 「科学」は17世紀の科学革命の時代に生まれたが、デカルトの「二元論」が「科学」の哲学的基礎を作った。いわゆる「哲学」から「科学」が生まれたが、この経緯から今でも博士号をPhilosophy of Doctor (PhD)と呼ぶ。デカルトの「二元論」では、人間の精神現象を「精神」と「肉体」に分離し、さらに「肉体」を「生命」と「物質」に分離できるとした。すなわち、複雑な現象も、分離した物質を調べれば理解できるであろうという思想である。このデカルトの二元論により、物理学や化学が発展し、その結果、科学の発展が産業革命を生み、科学技術文明と工業化社会が出来上がった。
 1950年代に入り、二元論が否定される出来事が起きた。それは、ワトソンとクリックの2重らせんの発見である。この発見は「生命」と「物質」は分離できないことを示したものであり、これを機に「生命」を物質レベルで要素還元主義的に研究しようという生化学や分子生物学が発展した。そして、これらの科学領域の学問の成果が、遺伝子をもとに有用なものを創造しようとする「工学」すなわち「遺伝子工学」を生み出した。
 「遺伝子工学」の発展により、遺伝子、RNA、タンパク質、代謝物などが大規模に解明され、これら要素をもとに、全体論的(合成的)に生命現象を理解しようという科学分野の新しい学問が誕生した。従来の「科学」が自然現象を要素に分解する学問であったが、現象を構成する要素が大規模に解明できるようになったことから、この新しい学問は、これら要素をもとに構成的(Constructive)または合成的(Synthetic)に理解しようという手法から、構成的生物学(Constructive Biology)または合成的生物学(Synthetic Biology)と呼ぶようになった。合成生物学とは、合成化学のように工学分野の学問のイメージがあるためか、この学問は次第にSystems Biology(システム生物学)が使われるようになり、構成的生物学の意味を持つSynthetic Biologyという語は消えていった。現在、Systems Biologyとは、ゲノムシーケンシングのように、大規模に要素に分解するという「トップダウンアプローチ」と要素を合成してシステムを理解するという「ボトムアップアプローチ」の2つの手法が用いられる。したがって、構成生物学よりもより広い概念の学問ともいえよう。
 続いて、「科学」であるSystems Biologyの発展が、「工学」である新しい定義のSynthetic Biologyを生み出した。英語圏の国では、Synthetic Biologyすなわち合成生物学は、この「工学」としての学問を意味することが多い。より具体的には、合成生物学(Synthetic Biology)とは、有用な目的のために、生命デバイスや生命システムをデザインしたり、構築することを目指した工学であるといえよう。
 このような経緯から、日本では、Synthetic Biologyは、以前の定義である「科学である構成的生物学」という意味も残しつつ、最近頻繁に使われている「工学である欧米流の合成生物学」という意味でも使われている。このように意味が混乱しているのが現状である。日本でも、システム生物学と合成生物学の2つの語に統一する方が望ましいと思う。なお、遺伝子工学でも組換えDNA技術を用い、また合成生物学でも組換えDNA技術を多用するので、両者が類縁していると考える背景があることから、合成生物学は遺伝子工学に近いとも言われる。しかし、「遺伝子工学」の課題はタンパク質の大量生産や変異タンパク質の創製である一方、「合成生物学」の課題は人工的代謝経路の創製および生命デバイスや生命システムのデザインであるので、両者は異なる工学領域の学問である。