2013年1月7日月曜日

未来を考える(第5回目:バイオデジタル情報革命の到来)

 1990年代後半よりデジタル情報革命が到来したが、この革命の第二幕は、ライフサイエンス分野すなわちバイオ分野のデジタル情報革命ともいえる。今年2013年は、いよいよOxford Nanoporeのナノポアシーケンサーが発売される。また、Ion TorrentのProtonシーケンサーの普及も進むはずだ。今回のGOクラブでは、次世代シーケンサーに加えて、電子嗅覚センサーや電子味覚センサーを含めた半導体バイオセンサーが拓く「バイオデジタル情報革命」を論じてみたい。


生命科学と半導体の出会い

 1947年に、ベル研究所のジョン・バーディーン、ウォルター・ブラッテン、ウィリアム・ショックレーの3人がトランジスターを発明した。このトランジスターがコンピューターを誕生させ、IT産業を勃興させた。また、1960年代に米国国防省を中心に開発が始まったARPANETがインターネットの誕生につながり、1990年代後半よりデジタル情報革命が到来した。

 一方で、1953年にワトソンとクリックが2重らせんを発見して以来、生命科学が急速に発展した。その後、1990年代に入ると、インターネットの発展とともに、情報技術(IT)とバイオの融合により、ゲノム科学とバイオインフォマティクスが誕生した。また、「半導体とバイオの融合」すなわち「光リソグラフィー技術の応用」によりDNAチップが発明された。また、1990年代は次世代シーケンシング技術にとって必須な基盤技術であるマイクロ流路技術の開発も進んだ。

 第2世代シーケンサーは、DNAポリメラーゼまたはDNAリガーゼによるDNA逐次合成の過程で発せられる蛍光をCMOSイメージセンサーで検出する原理に基づいているが、第3世代シーケンサーは、Ion Torrent の半導体シーケンサーやOxford Nanoporeのナノポアシーケンサーのように、半導体と生命科学が完全に融合した結果生まれたデバイスである。

 従来の半導体は物理学と密接な関係があり、演算や光・電流などの計測を行うデバイスである。一方、新しく登場した半導体センサーはDNAなどの化学物質を検出するためのデバイスであり、化学と密接な関係がある。さらに、この新しい半導体センサーは、半導体技術で化学物質を検出するだけでなく、検出結果がデジタルデータとして出力される特徴を有する。Oxford NanoporeのパソコンUSBポート接続型MinIONシーケンサーは、サンプルを注入すれば塩基配列が出力されるSample-to-Answer型のポータブル・デバイスであり、インターネットを通じてデータ解析がリアルタイムで行える。まさに「スマートフォン」を連想させる世界が広がる。

Electronic NoseとElectronic Tongue

 IBMが2006年から毎年、年末に「5年後の5つの未来予測(Next 5 in 5)」を発表しているが、昨年12月17日に発表された5年後の未来予測は、「視覚・嗅覚・触覚・味覚・聴覚という五感をコンピューターが認識できる」という予測であった。嗅覚と味覚については、それぞれ“Electronic Nose(e-Nose; 電子鼻)”、“Electronic Tongue(e-Tongue; 電子舌)”と呼ばれている電子嗅覚センサーと電子味覚センサーの汎用化を予想しているものと思われる。DNA/RNAのシーケンシング・デバイスのポータブル化は、今年発売される予定のナノポアシーケンサーで実現するが、電子嗅覚センサーと電子味覚センサーのポータブル化は5年後に達成されると、IBMは予想しているのであろう。これらのセンサーをコンピューターと接続することにより、匂いや味をコンピューターで手軽に検知・分析できるようになる時代がまもなくやってくる。

 e-Noseとe-Tongueによる化学物質検出については、金属酸化膜半導体、ポリマーセンサーまたは水晶微小天秤(Quartz Crystal Microbalance)センサーを用いた検出技術の開発が進められてきた。また、化学物質を検出するためのセンサーとしては、金属酸化膜半導体を利用したChemFET(Chemical field-effect transistor)が知られており、Ion Torrentシーケンサーでは、水素イオンを検知するISFET(Ion-sensitive field-effect transistor)が用いられている。バイオ分野との関連では、酵素を用いるENFET(Enzyme field-effector transistor)も開発されてきた。さらに、化学物質と結合する抗体を用いたセンサーの開発も進んでいる。

 ナノポアを用いる化学物質検出技術は、DNAやRNAの配列情報の解読だけでなく、タンパク質や合成ポリマーや糖などの検出にも利用できることが報告されている。したがって、5年後の実現は無理かもしれないが、ナノポアや抗体などのバイオ分野の技術がe-Noseやe-Tongueにも応用され、革新的な半導体バイオセンサーが誕生することが期待される。

半導体バイオセンサーが拓くバイオデジタル情報革命

 e-Noseやe-Tongueは、揮発性物質の検知や食品の味だけでなく、医療分野にも応用されるようになるであろう。犬が個人の匂いを識別できるように、ヒトの体臭は個人間で異なっている。さらに、体臭は健康状態とも密接な関係があることが示唆されている。すでに、犬が肺癌患者の呼気を嗅ぐことにより、癌の診断が可能であることも報告されている。体臭は、個人の体質以外に、ヒトに棲む微生物叢(Microbiome)により決まっていることがわかっており、個人ゲノムの解読とMicrobiomeの網羅的シーケンシングは、「匂い」科学の分野にも大きな影響を与えるであろう。

 このように、バイオと半導体・IT・ナノテクが融合することによって誕生した半導体バイオセンサーは、今後とも急速に進化し、遺伝子情報に加えて匂いや味など化学物質に由来するデジタル情報(バイオデジタル情報)を取り出すことにより、個別化医療、予防医療、個別化食品、個別化化粧品などの領域で人類に大きな幸せと楽しみを与えるに違いない。5年後の未来は、IBMの“The IBM 5 in 5” のページにもイラストで予想されているので、ぜひともそのページをご覧になっていただきたい。