2012年6月26日火曜日

未来を考える(第4回:種、個体、1細胞、そして1分子へ)

 ゲノムシーケンシングをベースとするオミックスの発展は、生命科学に新しい広大な未開拓地があることを教えてくれた。同時に、我々の生命に対する理解に対して一部思い込みがあることも知らされた。種、個体、1細胞、そして1分子レベルでのシーケンシングにより、生命の真実の姿が見えてくる。今回のGOクラブでは、1細胞レベルと1分子レベルでのゲノム解析について、最近のトピックスを交えて考察してみたい。


シーケンシング・サイエンスの発展の歴史

 Celera Genomics(現在はCelera)が2000年にヒト全ゲノムの解読を達成した。このような「種」レベルでのゲノム解読が可能になった時期に当社は設立された。その当時、今後シーケンサーが進歩して、多数の微生物ゲノムの配列が安価に解読できるとともに、「個人」ゲノム解読も安価に行えるようになり、個別化医療や予防医療が実現するという「夢」があった。その後、予想をはるかに超える速度でDNAシーケンサーは進歩し、1000ドルゲノムの目標もほぼ達成し、その「夢」も現実的なものとなった。また、ゲノム配列決定コストが極端に低減したので、「1細胞」ごとのゲノム配列や「1分子」レベルでのゲノム配列の解読も現実的なものとなってきた。

「1細胞」解析の意義

 最近、“Journal of Single Cell Genomics & Proteomics”という名前の科学誌が発行された。新しいジャーナルの発刊は時代のトレンドを反映する。1細胞レベルで、ゲノム配列決定、RNA解析、エピゲノム解析などを行えば、細胞による差異や同一細胞による時間変化に伴う各種変化を追うことができる。その結果、生命の新しい姿が見えてくるであろう。

  我々は、各個人のゲノム配列は一義的に配列情報が決まっていると考えている。しかし、1細胞レベルのゲノムシーケンシング解析により、各個人のゲノム配列は1通りでなく、細胞ごとに異なる場合があることが知らされるであろう。受精後の最初の細胞のゲノム配列が真の個人ゲノム配列と言えると思うが、その後、発生と分化とともにゲノム配列が変化する場合がある。この現象は、すでに、B細胞やT細胞だけでなく、脳細胞でもゲノム構造の変化が報告されている。さらに、DNA複製時のDNA合成エラー発生も考えると、「個人の真の正確なゲノム配列はどうなっているのか」という問いも深遠なものとなる。

  ガン組織を摘出してゲノム配列を解析すると、通常正常細胞とガン細胞の混合物のデータが得られる。ガン細胞自身も変化していくので、場合によっては複数種の混合配列データが得られることになる。もしガン組織のゲノム配列を1細胞ごとに決定できれば、ガンの発生と進展についてより正確な理解が得られるだろう。

  1細胞ごとの配列差異の問題として次のような事例もある。当社が受託解析を行っている、または自社研究を行っている過程で、微生物ゲノム配列に関して、標準菌株でも各研究機関ごとに配列が異なるという事実を知った。この問題は他のシーケンシングセンターでも頻繁に観察される現象だそうだ。純系マウスでもブリーダーによって一部の遺伝子で致命的な配列の違いもあるという情報も得ている。

  このように、微生物では、Escherichia coli K-12 〇〇株という一見同一とされる株でも、各研究機関に保管されている同一の名称の菌株間で、すでにゲノム配列の相違が生じるので、公的データベースに登録されている標準データも当てにならないかもしれない。このように、「1細胞」ごとにゲノムシーケンシングができるようになると、ゲノム配列がほぼ同一なのに表現型が異なるとか、自然界には様々の程度で配列が相違する微生物が存在することが一般的であることがわかるだろう。そして、微生物学にとって「種」とは何かという大きな問題を提起することになる。そして、次世代シーケンサーによる1微生物細胞ゲノムシーケンシング研究は、微生物の分類や認識に対してパラダイムシフトを引き起こさせることになるであろう。なお、過去のGOクラブ「1細胞からのゲノムシーケンシング(パート1)」で、メタゲノム解析研究では、1細胞ごとにゲノム配列を決定できるようになると、大きな進展があることを言及した。

そして「1分子」解析へ

 上述のように、次世代シーケンサーの発展とともに「1細胞」の世界も広がってくることを述べたが、さらに細胞内の個々のDNA・RNA分子の解析も進むであろう。たとえば、第3世代シーケンサーであるPacBioのRSシーケンサーでも各DNA・RNA分子のシーケンシングが行えるが、ナノポアシーケンサーが登場すると、さらに1分子解析は加速化される。Oxford Nanoporeは1リードで50~100 kbの配列を解読できるので、ハプロイドゲノム由来のDNA領域の配列も明らかにできる。さらに、mRNAも直接シーケンシングするか、またはmRNAをcDNAに転換してシーケンシングし、5'末端から3'末端まで一続きの配列として得られれば、mRNAの構造とその細胞内分布について真実の世界が見えてくることになる。各スプライシング・バリアントの解析も正確かつ容易に行えるようになるだろう。

  1分子シーケンサーの利用でなく、各DNA分子をFACS(Fluorescence-Activated Cell Sorting)により分離して、個々のDNA分子を解析する技術も開発されている。たとえば、Cornell UniversityのHarold Craighead博士らは、大学で開発したFACSによる1分子分離技術をもとに、ベンチャー企業“Odyssey Molecular”を2010年に立ち上げて活動を続けている。

  次世代シーケンサー、特にショートリード次世代シーケンサーの場合には、膨大な数の配列リードが得られるので、Deep Sequencing法を用いたウィルス集団中のバリアント解析など、分子レベルの解析を行うことができる。Digital PCRでも1分子解析も可能である。Digital PCRは、1反応中に1分子のDNAが存在するようにDNAを希釈してPCR反応を行い、増幅物を解析する手法である。

  このような技術が発展すれば、医療などの応用範囲も広がる。これまでがん診断では血液中にわずかながん細胞があった場合、ノイズに隠れて検出は不可能であった。大量の数の細胞や分子を個々に分析できれば、S/N比は極めて優れているので、超微量高精度検出も可能となる。