2012年4月5日木曜日

未来を考える(第3回:ナノテクが牽引する次世代シーケンサーの進歩)

 米国では、2001年にクリントン大統領がナノテク研究を国家の戦略目標として重点化してきたが、その成果として次世代シーケンサーの進歩が加速化されている。日本でも欧米の研究の進展に合わせて、ナノテク研究に多くの予算が配分されているが、次世代シーケンサーの開発が進んでいない。今回のGOクラブでは、次世代シーケンサー開発におけるナノテクの役割をまとめるとともに、日本の未来を考えるために、次世代シーケンサーのような革新的な製品を誕生させるための条件を考察してみたい。


Nanopore

 ナノテクノロジー (nanotechnology) は、Wikipediaにもその定義が記述されているように、物質をナノメートル (nm = 10-9m)の領域すなわち原子や分子のスケールにおいて、自在に制御する技術のことである。従来の半導体産業では、光リソグラフィー技術のように、μmオーダーの設計や加工を行っていたが、ナノテクでは文字通りnmレベルの設計や加工を行う。DNA塩基配列を解読するために、1本鎖のDNAをNanopore(ナノポア)を通して電流変化を観察するには、直径が1~2 nm程度の大きさの穴を用いることが望ましい。このようなナノポアを調製するには、Alpha hemolysinなどタンパク質ナノポアを用いる方法がよく用いられる。ポアタンパク質の立体構造に基づいてアミノ酸変異を導入することにより、ポアの構造を微細に変化させることができる。たとえば、Oxford Nanoporeは、約300種類のポアタンパク質の変異体を構築し、DNA配列の解読スペックを比較したと発表している。 Ion-beam sculpting、latent track etching、Electron beam-induced fine tuning、FIB drilling and electron beam lithographyなどの手法を用いて、単結晶シリコン板などに1~10 nmのポア(穴)をあけることにより、DNA配列の解読も行うことが可能になるが、また、カーボンナノチューブにDNAを通す、またはグラフェン(六角形格子構造をとっている炭素原子のシート)に穴をあけてDNAを通すことにより、DNA配列を解読する技術開発も進んでいる。

Quantum dot

 Quantum dot(量子ドット)とは、3次元全ての方向から移動方向が制限された電子の状態のことであるが、数nm~20nmの粒状の構造を作り、電子はその領域に閉じ込めると、赤外領域や可視光領域での発光材料となる。次世代シーケンサーでは、サンガー法利用のキャピラリーシーケンサーの場合、蛍光色素にレーザーを照射して蛍光を検出することから機器が大型化しているが、量子ドットをphoton donorとして使い、acceptor側の色素を光らせることにより、デバイスを小型化することができる。
 量子ドットの応用について、Life Technologiesが開発を進めている第3世代シーケンサーであるStarlight Sequencerで利用されていることが知られている。その他、最近ナノポアシーケンサーの開発を進めている企業としてQuantapore, Incが挙げられるが、社名の通り、量子ドット(Quantum dot)を付加したタンパク質ナノポアを用いて、蛍光色素でラベル化したDNAの配列を解読する技術の開発を進めている。Quantapore, Incの技術については、また別の機会に詳しく紹介したい。

Nanowire

 Nanowire(ナノワイヤ)とは、文字通り、直径がnmオーダーの針金状の構造体のことをいう。DNA検出の応用分野では、たとえば、Hewlett-Packard Laboratoriesが、シリコン単結晶のナノワイヤに1本鎖DNAを結合させて、この1本鎖にハイブリするDNAを電気抵抗の変化により検出できることを発表している
 最近、NanoSysが開発したDNA解析ナノワイヤ技術のライセンスを受けて、イギリスのベンチャー企業QuantuMDxが、シンガポールの研究機関A*STARの支援を受けて、ポータブル型次世代シーケンサーの開発を推進することを発表している。QuantuMDxの技術については、また別の機会に詳しく紹介したい。

半導体新世紀に突入したシリコンバレー

 各種ナノテクノロジーを活用した次世代シーケンサーの開発が盛んな場所は、やはり「シリコンバレー」である。シリコンバレーは文字通り、上述のHewlett-Packard (Palo Alto)、Fairchild Semiconductor International, Inc. (San Jose)、Intel (Santa Clara)などの企業が、シリコン半導体最先端技術を開発した地域である。1970年代後半には、この地域でGenentechなどの最先端バイオテクノロジーのベンチャーが生まれ、そして1990年代に入ると、バイオとITを融合したベンチャー企業が多数登場した。
 シリコンバレーで先頭を走る次世代シーケンサーベンチャー企業は、Complete Genomicsである。Complete Genomics (Mountain View)も、最先端の半導体技術を利用して、シリコン板に300 nmの穴を開け、その穴に直径200 nmのDNAのナノボールを置き、そのDNAの配列を解読する技術を確立した。Complete Genomicsに続いて、Pacific Biosciences (Menlo Park)が次世代シーケンサーを実用化したが、直径70 nm、深さ100 nmの穴(ZMW holeと呼ぶ)が約15万個並んだ構造を有するマイクロチップ(SMRT cellと呼ぶ)を開発し、次世代シーケング技術を確立した。Pacific Biosciencesの技術は、1000 bpのDNAの長さが340 nmであり、DNAポリメラーゼの直径が15 nmであることも考え合わせると、「ナノ」の世界に突入したと言える。
 Nanoporeシーケンサーを開発するシリコンバレーのベンチャー企業としては、Genia (Mountain View)とQuantapore (Menlo Park)が挙げられる。Quantum dot技術を利用するベンチャー企業としては、同じQuantaporeが挙げられる。Nanowire技術をQuantuMDxに提供したNanoSys(Palo Alto)もシリコンバレーのベンチャー企業である。さらに、半導体技術を用いて次世代シーケンサーの開発を進めるGenapSys (Menlo Park)とCaerus Molecular Diagnostics (Mountain View)もシリコンバレーで活動しているベンチャー企業である。また、Intel も2003~2007年にかけて次世代シーケンシングの技術に関して10以上の特許出願を行っていることから、次世代シーケンサーの開発に注力してきたようである。2007年以降は特許出願が途絶えていたが、最近になってIntelによる次世代シーケンサーの開発に関するニュースも再度目にするようになった。

シリコンバレーで革新的技術が誕生する背景

 次世代シーケンサーの開発は主に米国のベンチャー企業で行われており、日本での次世代シーケンサー開発は稀有である。「どうして日本でこのような革新的技術が生まれないか?」と質問を受けることがあるが、その理由は多数存在すると思う。シリコンバレーで革新的技術が誕生する背景を検討することにより、日本が解決すべき問題点を考えてみたい。
 まず、次世代シーケンサー開発の礎となる技術シーズが大学を中心に多数誕生している。続いて、製品の上市を目指した技術開発の核となるCSO (Chief Science Officer) がベンチャー企業を創業して次世代シーケンシング技術の開発を推進することになる。このようなアーリーステージのベンチャー企業に対して、一般にベンチャーキャピタルは資金を提供しないので、研究開発の資金を提供するエンジェルの存在が重要となる。シリコンバレーでは、ベンチャービジネスで成功して多額の資金を持つエンジェルが多数いるので、エンジェル税制の効果もあり、このようなベンチャー企業に資金を提供する環境が整っている。これまでのGOクラブでも紹介してきたように、次世代シーケンサーの開発には、バイオ、IT、半導体、ナノテクなどの異分野の技術の融合が必要である。大企業やアカデミアの研究機関でも異分野の研究者が集まっている場合があるが、特定の目的に対して適合性がよい研究者が揃うこともむずかしく、かつ同じ目標に向かっていく組織を作ることも困難である。したがって、必要な人材をタイムリーにリクルートすることが製品開発の成功にとって重要な要因となる。必要な人材としては、各種技術分野の専門家だけでなく、経営、財務、事業開拓、営業などの専門家も必要となる。製品開発が実用化・事業化段階に入ると、多額の資金が必要となるので、ベンチャーキャピタルからの資金供給は必須となる。
 このような環境が整って製品開発が進んでも、成功確率はせいぜい10%である。日本では、ベンチャービジネスで失敗した人に対する評価は低い。経営者なら債務も背負い、借金取りに追われる社会でもある。ベンチャービジネスで失敗した人が評価されない社会では、もともと革新的製品の開発を目指すベンチャー企業を立ち上げようとする人も少なくなってしまう。