2014年5月7日水曜日

1,000人ゲノムから100,000人ゲノムへ(前編)

 今年3月24日付のGOクラブで、J. Craig Venter氏が10万人の個人ゲノム情報を解読し、長寿すなわち予防医療・先制医療を目指すベンチャー企業Human Longevity, Inc. (HLI) を設立したことを紹介した。このように、疾病原因変異探索と個別化医療を目指す10万人規模のゲノムプロジェクトが多数推進されている。GOクラブでは、2回に渡って、これら大規模個人ゲノムプロジェクトの概要を紹介したい。


1,000人ゲノムプロジェクトとは

  SNP(一塩基多型;Single Nucleotide Polymorphism)だけでなく、個人間の塩基配列の変化(Single Nucleotide Variant)を調べることを目的として、英国、米国、中国の研究機関が国際協力によって多様な人種の1,000人の全ゲノム解読を行うゲノムプロジェクトを2008年1月に始めた。このプロジェクトを1,000ゲノムプロジェクトと呼ぶが、1,092人のゲノム解析を終えたことが2012年10月31日に発表された。

 GOクラブのシリーズ記事「遺伝子検査・遺伝学的検査・ゲノム診断について考える」でも紹介してきたが、2003年のヒトゲノム解読完了発表の後に、SNPマーカーをもとにしたGWAS (Genome-Wide Association Study) により疾病遺伝子のマッピング研究が行われてきた。このGWASに対して、1,000人ゲノムプロジェクトは、SNPの多様性だけでなく、個人間でより複雑な塩基配列の差異があることを明らかにした。このような研究成果から、真の疾患変異解明や個別化医療の実現には、疾病発症に結びつくSNVの同定が必要であることがわかり、10万人規模の個人ゲノムを解読するプロジェクトが世界中で多数立ち上がっている。

英国の10万人ゲノムプロジェクト“Genomics England”

 この1,000人ゲノム完了の発表後、英国政府は、National Health Service (NHS) のグラントをもとに5年間に渡って100,000人ゲノムプロジェクトを推進することを2012年12月10日に発表した。これまでのヒトゲノムプロジェクトは基盤研究的色彩が強かったが、“Genomics England”とも呼ぶ“100,000人ゲノムプロジェクト”では、個人ゲノムのビッグデータを各個人にとって有益な使える情報に変えることが目的である。また、英国政府は、本プロジェクトの目的として、個人ゲノム情報をベースとした「より良い診断」「より良い創薬」「より良い医療」の実現で世界をリードすることを挙げている。
 具体的には、2017年までにがん疾患、希少疾患および感染症を患っている患者100,000人の全ゲノム配列を解読し、医療に結びつけることを目指しており、昨年中頃より本格的に推進されている。

米国退役軍人の100万人ゲノムプロジェクト

  米国退役軍人省(United States Department of Veterans Affairs)は、昨年6月に退役軍人100万人のゲノム情報を解読し、医療記録や健康管理情報などと照合することにより、ゲノム情報を退役軍人のヘルスケアに生かすプロジェクトを始めることを発表した。このプロジェクトは Million Veteran Program (MVP) とも呼ばれ、2013年6月10日付のNature Biotechnology誌にもその概要が記事として掲載されている。

 MVPでは、昨年5月時点ですでに15万人の退役軍人の登録が済んでおり、今後5~7年間かけて100万人の登録を終える予定である。医療情報の収集だけでなく、血液サンプルなどのバイオバンキングも行い、ゲノム配列決定につなげていく。なお、MVPの第1フェーズとして、ベンチャー企業Personalis, Inc. が米国退役軍人省と契約を結び、1,000人の全ゲノム解読(冗長度30倍の全ゲノムシーケンシング)を行うことになった。

サウジアラビアの10万人ゲノムプロジェクト

  昨年12月9日付のBBCニュースで、サウジアラビアが100,000人ゲノムプロジェクトを始めることが報道された。目的は上記の2つのゲノムプロジェクトとほぼ同じである。西欧人と中東人の間で疾病関連遺伝子に大きな差異はないと考えられるが、個別の変異レベルでは中東人特異的なものも存在することから、サウジアラビア人のゲノム情報をもとに疾病原因変異の同定研究を5年間に渡って進める。個別化医療・予防医療につなげることが目的であるが、サウジアラビアのプロジェクトでは、出生前診断と婚前診断にもゲノム情報を生かすことも目指す。サウジアラビアの10万人ゲノムプロジェクトは、国内の10ヶ所のゲノムセンター以外に、5ヶ所のゲノムセンターを新設してプロジェクトを推進する予定である。

大規模個人ゲノム解析プロジェクトの意義

   今年3月24日付のGOクラブで、J. Craig Venterが設立した HLIでも、UC San Diegoの病院と組んで、10万人規模の全ゲノム解読を開始することを紹介した。多数の疾病の原因変異を同定するには、10万人規模のゲノム情報と医療記録情報の両方が必要となると予測していると考えられる。

 Googleが長寿を実現する新しいバイオベンチャーであるCalicoを設立したことも以前紹介した。Calicoの取り組みの詳細は明らかにされていないが、Dark Dailyのウェブサイトの情報によると、100歳以上の長寿の方々のゲノム情報を解読することも行うようである。
 製薬バイオテク企業Regeneron Pharmaceuticals最近10万人ゲノムプロジェクトの開始をアナウンスした。大規模ゲノムプロジェクトの目的は個別化医療・予防医療であるが、製薬企業は創薬プロセスそのものに生かすことも考えているらしい。RegeneronやAmgenも、高コレステロール血症の治療薬としてPCSK9酵素の阻害抗体の開発を進めているが、この創薬ターゲットは、希少疾患である家族性高コレステロール血症の原因変異研究の成果に基づいている。このような背景から、Amgenは、2012年末に疾患変異同定ベンチャー企業であるdeCODE geneticsを415百万ドルで買収し、疾病原因変異と膨大な個人ゲノム情報を創薬プロセスに組み込むことを実施した。次回のGOクラブでは、「1,000人ゲノムから100,000人ゲノムへ」の後編として、RegeneronやAmgenなどのバイオテク企業が取り組む次世代シーケンシング利用プロジェクトについて紹介する予定である。