2010年12月27日月曜日

GenapSysが開発を進める新しい第4世代シーケンシング技術“Thermosequencing”


 GOクラブでは、次世代シーケンシング技術の開発は、DNAだけなく、様々な生体分子や代謝物を超並列的に検出する技術にも応用される可能性について言及してきたが、逆に先端工学領域で開発が進むナノ・分子レベルでの検出技術が次世代シーケンシング技術の開発にも応用されるケースが出てきている。このような背景のもと、酵素反応や生体反応をモニターするために、反応に伴って放出される熱エネルギーを、マイクロチップ・半導体技術を利用して、超微量で超並列的に測定する技術開発が、2000年代に入って盛んになっている。GOクラブでは、最近のカリフォルニア州の医療技術開発関連の研究グラントを調べている過程で、新しいベンチャー企業GenapSysが「温度上昇検出」に基づく新しいシーケンシング技術の開発を推進していることを知ったので、今回はこの技術“Thermosequencing”を紹介する。

Qualifying Therapeutic Discovery Project Grants for the State of California

 表記の研究グラントは、カリフォルニア州が州内の中小企業が取り組む医療診断領域の新技術・製品の開発に対する助成金である。2009年と2010年に助成が決まったプロジェクトのリストは、IRS.govのホームページに掲載されている。この助成金は、2009年と2010年の2年間で、合計1,642件のプロジェクトに対して総額2億7809万ドルの資金が提供されている。これらプロジェクトの中で、次世代シーケンシング技術の開発に関わるものは、
(1) Complete Genomics, Inc. "Complete Human Genome Sequencing for Personal Medicine" ($244,479.24)[2009年]
(2) Halcyon Molecular, Inc. "High-throughput single-molcule quantitative transcriptional profiling by EM"($ 244,479.25) [2009年]
(3) Halcyon Molecular, Inc. "DNA sequencing using electron microscopy" ($244,479.25)[2009年]
(4) Caerus Molecular Diagnostics Inc. "Low-Cost Diagnostic Platform using Millikan Sequencing" ($150,000.00) [2010年]
(5) GenapSys Inc. "Development of inexpensive, ultra-high throughput micro-electronic medical DNA sequencer"  ($244,479.25)[2010年]
の5件であり、これらは高い評価を受けたと考えられる。Complete Genomicsは著名であるし、Halcyon MolecularCaerus Molecular Diagnosticsの技術については、GOクラブですでに紹介した。最後のGenapSysは、初めて知る企業名であり、気になったので、GenapSysの技術を調査した。以下に、その調査結果をまとめる。
なお、上記(2)のプロジェクトのタイトルを見ると、Halcyon Molecular, Inc.は「電子顕微鏡を用いた1分子RNAシーケンシング技術」を開発していることがわかる。

酵素反応に伴って放出される微量の熱エネルギーを検出する技術について

 生体反応・酵素反応に伴って放出される熱エネルギーをマイクロチップを用いて検出する方法を初めて報告したのは、「温度差を測定するセンサーである熱電対(thermocouple)を利用して、動物細胞の刺激応答に伴う熱エネルギー変化をモニターした研究(2000年)」と思われる。続いて、96フォーマットの微量・並列フォーマットのマイクロチップで温度変化をモニターする“Enthalpy Array”が2004年に発表されている。“Thermosequencing”技術を開発したGenapSys社のHesaam Esfandyarpour博士は、温度変化の検出技術として、この“Enthalpy Array”を引用しているが、この技術を用いると、0.0005℃以上の温度変化を検出できる。これまでに、これらの技術を含めて、チップベースの「微小温度変化検出技術」は、10以上開発されており、それらのリストは、論文“PNAS September 8, 2009 vol. 106 no. 36 15225-15230”の表1にリストアップされているので、参照してほしい。

“Thermosequencing”の概要

 GenapSys社が開発を進める新しいシーケンシング技術(GENIUS™ technology)の原理は、DNAポリメラーゼがdNTPをDNA鎖の3'末端に結合する際に、dNTPの高エネルギーリン酸結合の分解に伴って熱エネルギーが放出されるが、その熱エネルギーを検出する仕組みに基づいている。このシーケンシング技術は、熱変化の検出に基づいていることから、“Thermosequencing”とも呼ばれている。“Thermosequencing”は、Stanford大学のRonald W. Davis教授の指導のもと、 同大学のHesaam EsfandyarpourとMostafa Ronaghiが発明した技術であるが、Hesaam Esfandyarpourはこの技術をもとに次世代シーケンサーを開発するために、2010年1月にベンチャー企業GenapSysを設立した。“Thermosequencing”の内容は特許(United States Patent Application 20080166727)として公開されており、また下記の論文にも発表されている。
Hesaam Esfandyarpou, R. Fabian W. Pease, and Ronald W. Davis. "Picocalorimetric method for DNA sequencing." J. Vac. Sci. Technol. B 26, 661 (2008)
Hesaam Esfandyarpour et al. "Structural optimization for heat detection of DNA thermosequencing platform using finite element analysis." Biomicrofluidics 2, 024102 (2008)

これらの特許や論文で発表された情報から、GenapSys社が開発を進めているシーケンサーは右図に示すようなものになる。シーケンシングは、マイクロビーズ上でPCRにより増幅されたDNAを鋳型とするDNAポリメラーゼ反応に基づいて行われる。このビーズは微小ウェルに置かれるが、そのウェルの底面には熱変化を検知するセンサーが配置されている。熱センサーとしては、Picocalorimeter、Thermocouple(熱電対センサー)、Thermometer、IR sensor(赤外線センサー)のいずれかを用いることができると発表されている。“Enthalpy Array”を用いると、0.0005℃以上の温度変化を検出できるが、特許USP 20080166727には、0.003℃以上の温度変化を検出することにより、塩基配列を読み取ることが特許の請求項に記載されている。
"Thermosequencing"は、Ion Torrent Systemsが開発したpH変化に基づくシーケンシング技術と似ており、4種類のdNTPを順番に加えることによりDNAポリメラーゼ反応を行い、塩基配列を読み取る。ただし、dNTPの違いによりdifferent heat signatures になり、連続的シーケンシングも行える可能性があることが言及されている。また、Hesaam Esfandyarpourらの特許には、温度変化の検出と同時に、pH変化も検出することにより、シーケンシングを行えることが記載されている。
これまでにHesaam Esfandyarpourらは、「各反応で放出される熱がウェルから流路に逃げないようにする」という課題の解決に取り組んできた。上図に示したように、ビーズを入った微小ウェルの近傍に、1個または2個の断熱用Control lineを設置し、発生した熱を封じ込める工夫を加えている。シミュレーション計算では、0.5秒で0.00167℃の温度上昇が起こることが論文では示されている。

“Thermosequencing”の将来性

 上述したように、"Thermosequencing"に基づくシーケンサーは、Ion Torrent Systemsの半導体チップ・シーケンサーに類似したものになる。シーケンサーの開発が緒に就いたばかりであるので、今後開発が順調に進んでも、シーケンサーの発売は4、5年先になると思われる。現時点で、Ion Torrent Systemsのシーケンサーに対する優位性は見当たらないが、Hesaam Esfandyarpourらの特許に記載されているように、「温度変化」と「pH変化」の両方を検出することができれば、配列決定精度が優れたものになる可能性がある。また特許に記載されているように、熱変化のシグナルが4種類の塩基で異なるのであれば、dNTPの混合物でポリメラーゼ反応を行えるので、長く読める配列決定法にもなるかもしれない。
 GOクラブでは、今年米国を中心として様々な原理に基づく次世代シーケンシング技術が開発されていることを紹介してきた。今回の技術に関しては、わずかな温度変化(0.003℃)を検知することによってもシーケンシングできることを知り、感動を覚えた。世界で初めてマイクロ流路技術を実用化した“Caliper LifeSciences社”は、米国では2015年には新生児のゲノム配列を決定して個人のヘルスケアや個別化医療に利用されるようになるであろうと予測している。この頃(4、5年先)には、今年GOクラブで紹介した次世代シーケンサーの多くが実用化されたり進化して、次世代シーケンシング産業は「百花繚乱」のような状態になっているかもしれない。