2016年1月8日金曜日

個別化医療について考える(3):個別化医療の将来

 GOクラブでは、これまで2回に渡って「個別化医療の始まり」と「現在の個別化医療」について論じた連載記事を掲載した。今回はその最後の記事として「個別化医療の将来」について考えてみたいと思う。


IT革命時代の「個別化」の本質

  パーソナルコンピューターの普及とネットワーク技術の発展により、個人はインターネットを介して自由に情報を収集、発信し、また他人と情報を共有できるようになった。この情報の取得・発信・共有はスマートフォンなどのモバイルデバイスの登場により、さらに自由度が増している。このようなハードウェアの発展だけでなく、各組織のホームページを初めとして、Googleなどの情報検索サービス、FacebookやTwitterなどのSNSといった情報提供・共有のプラットフォームも充実している。このようにIT革命は21世紀に入って、市民のライフスタイルを大きく変貌させているだけでなく、文化・文明をも変革しつつある。
 「個別化医療」という語が誕生した1997年には、このように個人が自由に情報を取得・発信できる環境は整備されていなかった。21世紀に入り、インターネットの発展とともに「個別化」の意味が大きく変わった。以前は、製薬企業や医療機関という外から見た「個人」であったが、現在はその「個人」を「自身」に置き換えて外部を眺めてみるとわかりやすい。外部から個別化サービスを提供されるだけでなく、個人が自身に合った情報を得て自身で行動する時代となっている。

製薬企業に押し寄せる変革の波

  ヒトゲノム情報が解読され、その情報の活用について認識されるにつれて、ゲノム情報をもとに自分に合った薬を処方してほしいという願いが消費者の間で高まってきている。また、製薬企業も経済的合理性が成り立てば、その願いを叶えたいと考えている。このように、製薬企業の個別化医療とは、個々人に合った薬を届けようというものであった。しかしながら、SNP(Single Nucleotide Polymorphism)ベースでは、個々人に合った創薬で、その願いを叶えることは困難であることは以前のGOクラブの記事で説明した。

 上述のように、IT革命により消費者が求める「個別化」は大きく変化しているが、日本の製薬企業の多くはこの消費者の行動と要求の変化に気づくのが遅れている感がある。製品は消費者に届けるものであるが、製薬企業のビジネスは、製品が医療機関を通して消費者に手渡されることもあり、Business to Consumer/Customer (B to C) とはなっていない傾向がある。すなわち、製薬企業のビジネスは、疾病を調査して創製すべき薬を企画し、その市場性を評価するという「B to Diseaseモデル」になっているといえる。この「B to Diseaseモデル」が時代とともに変わりゆく消費者の生の声が製薬企業に届きにくい一因となっていると思う。

医療機関に押し寄せる変革の波

  医療機関に従事する者は直接個々の患者と向き合っているので、日頃から個別化医療を実践していると言ってもよいであろう。消費者は診断を受けて疾病の罹患を知り、疾病を治療してもらうために医療機関を受診するのが、従来の医療の姿である。
 医療機関は従来から製薬企業よりは消費者に直接接してきたものの、医療情報がオープンになり、新しい情報が矢のごとく飛び回る時代にもなっている。また、患者がセカンドオピニオンを求めるなど、医療ミスを指摘しやすい環境にもなっている。IT革命の波は消費者の要望を変え、その変化が医療機関にも変革を迫っている。個人のゲノム情報やヘルスケア情報の取得により、治療だけでなく、患者の疾病の予防や健康管理の支援についても患者が求めるように、医療環境が変化しつつある。そして、この変化はゲノム医療や先制医療という新しい医療の誕生にもつながった。

今後は個人のオミックス情報の活用が鍵となる

  IT技術の進歩により、ゲノム情報などの膨大な情報を個人ごとに得ることが容易になった。各人が有する端末で個々人の健康状態を正確に把握できるようになり、疾病の発症と進展の予測が可能になることもヘルスケアの世界に大きな変革をもたらしている。従来の疾病診断に関しては、診断薬や各種検査などにより特定のバイオマーカーの検査結果が得られ、それを医師の疾病診断の一助にしてきた。これに対し、個人のオミックス情報などにより個人の疾病の状態、発症予測、進展予測を的確に行えるようになったことで、診断の概念が大きく変わりつつある。したがって、診断薬企業の事業は大きく変貌を遂げるに違いない。前回のGOクラブでは、米国で多様なゲノム診断ビジネスを推進するベンチャー企業や組織について特集記事としてまとめた。
 製薬企業も個人のオミックス情報を医薬品開発に生かすことは必須となり、今までよりも個々の患者の実態を知ることが求められる。また、Rocheのように、製薬と診断をともに重視し、両事業のアクティビティーを統合的に活用することにより、患者にとってより良い治療法や診断法を開発しようという企業も多くなるだろう。また、医療機関にとっても個人のオミックス情報を核とするゲノム医療の提供は日常的なものになろう。
 そして、DTC(Direct-to-Consumer)遺伝子検査企業の登場やウェアラブルデバイスの発展に象徴するように、消費者個人がゲノム情報などのヘルスケアに関わる情報を得て、自ら健康を維持・管理し、疾病の発症予防にも努めることになる。このように、将来は、診断薬企業、製薬企業、医療機関、そして消費者個人にとって個人のオミックス情報の利用が鍵となることは間違いない。

Healthcare of the people, by the people, for the people

  従来の「個別化医療」は、製薬企業や医療機関の側の視点から発想されたものであったが、将来の「個別化医療」では、製薬企業や医療機関が個々人に合ったヘルスケアを施すだけでなく、IT革命による個別化の進展と個人のオミックス情報の活用により、個人が積極的に自身の健康を求める活動を行うことになる。短いスローガンで表現するならば、"Healthcare of the people, by the people, for the people"である。最後に、将来の「個別化医療」に関する留意点をまとめてみたい。
 まず、プレシジョン医療(またはゲノム医療)の発展により疾病の発症の予測や進展の予測が可能となる。個人にとっては大きな変革が訪れることになる。疾病の予防に関しては治療薬の投与は適切でないので、自主的な健康管理が必要となる。疾病の発症原因としては、遺伝的要因だけでなく、環境的要因も大きく、個々人に影響を及ぼしている因子は複雑であることから、個人が自身のヘルスケア情報を収集・計測・吟味することがますます重要となる。
 個別化医療の誕生当時は、個人に合った投薬、すなわちPharmacogenomicsが期待されたが、製薬企業や医療機関の側からのPharmacogenomicsの実現は容易でないことがわかった。したがって、Pharmacogenomicsを真に実現するには、個人ごとに自己の体調を観察し、自己のヘルスケア情報を利用することも必須となろう。また、製薬企業にとっての個別化医療は、プレシジョン医療(またはゲノム医療)の発展により疾病の分類体系が変わってくるはずなので、疾病原因のグルーピングに合わせて創薬戦略を立て直す必要があろう。
 医療機関は、疾病を治療することが任務であったが、今後はヘルスケアも重要視されるであろう。すなわち、「CureだけでなくCareの重視」が求められるだろう。Careの提供者は医療機関だけでなく、薬局も重要な役割を担うことが求められるようになるだろう。この個人向けのケアビジネスは新しい革新が求められ、また市場も大きくなることから、新しいビジネスモデルを持つ企業が参入する可能性も大きい。