Forbesの記事"Precision Health: Policy Needs To Catch Up To Science"について
オバマ大統領の特別補佐官であったBob Kocher氏が、昨年10月22日付のForbesに、"Precision Health: Policy Needs To Catch Up To Science" というタイトルで、オバマ大統領が力を入れる“Precision Medicine Initiative”の意義について論じている。
GOクラブで調査した限りでは、"Precision Medicine"という語は主にがんゲノムの研究から生まれた語であるが、Bob Kocher氏は、Forbesの記事の中では、政府側の立場から"Precision Medicine"を一般市民への健康維持・管理にも広げて、一般市民に広く利するという観点から、"Precision Health"という語を用いたと思われる。
このForbesの記事の中では、「科学・医学研究が想定外の速度で進歩しており、その進歩に政府の政策が追い付いていない。したがって、市民が科学の進歩の恩恵を医療面で得られるようにするには、政府側が資金を投じる必要がある」と論じている。さらに、Bob Kocher氏は、"Precision Health"の実現により医療費を減少でき、かつ米国が医療ビジネスで世界をリードできると述べている。このような背景があり、ホワイトハウスは年初の“Precision Medicine Initiative”の推進を打ち出したということがわかった。
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Precision Healthとは:スタンフォード大学の取り組み
"Precision Health"をスローガンとして掲げて積極的な活動を推進している機関が、スタンフォード大学医学校である。スタンフォード大学医学校は、"Precision Health"と"Precision Medicine"との関係について、以下のように説明している。
Precision health includes precision medicine but boldly expands its focus. Precision medicine provides personalized treatments once illness occurs; in contrast, precision health aims to prevent and predict illness, maintaining health and quality of life for as long as possible. Precision health draws on data science tools to translate volumes of research and clinical data into information patients and doctors can use.
(上記の英文の和訳:プレシジョン・ヘルスは、プレシジョン医療を包含するが、プレシジョン医療の焦点を思い切って拡大するものである。プレシジョン医療は疾病を発症したときに個人にあった治療を提供するが、一方で、プレシジョン・ヘルスは、疾病を予防し、その発症を予測して、できるだけ長く健康と生活の質を維持することを目標としている。プレシジョン・ヘルスは、データ科学のツールを活用して、膨大な研究と臨床のデータを患者や医師が利用できる情報に翻訳する。)
上記のように、プレシジョン・ヘルス(Precision Health)は、プレシジョン医療(Precision Medicine)よりも広い取り組みであるとして使われている語であることがわかる。単純には、HealthとMedicineが本来有する意味を考えた定義ともいえる。Precision Healthは、「(ビッグデータ解析に基づいた)高精度(できる限り正確な)かつ的確な健康(の維持・管理)」というような意味になるが、プレシジョン医療と同様に日本語訳がむずかしい用語だと思う。以前のGOクラブでPrecision Medicineの日本語訳でも議論したことであるが、"Precision"を「精密」と機械的に翻訳して「精密健康」という日本語をあてると、本来の概念と違ったものになってしまう。なお、英英辞典でPrecisionを調べても、日本語の「精密」という意味が出てこないので、多くの場合に英語と日本語の間で「意味のずれ」が生じる懸念がある。
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Precision Healthを天気予報にたとえると
現代の天気予報は観測機器や気象衛星などのビッグデータをもとにリアルタイムに高精度な分析が可能となっている。いわゆる"Precision Weather Reporting"(高精度天気予報)である。Precision HealthやPrecision MedicineのPrecisionとは、"Precision Weather Reporting"のPrecisionと同じといってよいだろう。
昔の天気予報は、温度、湿度、風速、気圧、降水量、各地の天気などのデータをもとに、各地の気象を予測した。現代の天気予報は、温度、湿度、風速、気圧、降水量に関する大規模データに加えて、気象衛星からのデータやレーダーなどからのデータを分析したうえで、気象予測モデルも用いて各地の気象を高精度に予測することができる。
医療もまさに天気予報(Precision Weather Reporting)と同じ状況になるといえる。すなわち、個人ゲノム情報などのオミックス情報に加えて、(1) ウェアラブルデバイスで計測できるデータ(脈拍数、体温、血圧、運動量、睡眠状態など)、(2) 自己問診情報や食事の内容、そして(3) 腸内細菌叢などのマイクロバイオームデータや血糖値などの生化学データをもとに、"Precision Health"を実現することを目指している。
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スタンフォード大学以外のPrecision Healthに対する取り組み
Precision Medicineという語を冠した組織の設置や取り組みについては、数多くの米国の大学や企業で始まっており、英国の大学にも広がっている。Precision Healthの語を冠した組織や取り組みについては数は少ないが徐々に増えつつあり、主な組織や取り組みを以下に紹介する。
・Geisinger Health System
Geisinger Health System(Geisinger)は、ペンシルベニアで約300万人の住人に医療サービスを提供している医療機構である。Geisingerは個人ゲノム情報を活用した医療の提供に対して積極的である。Geisingerが米国製薬バイオテク企業Regeneron Pharmaceuticals, Inc. と組んで推進している10万人ゲノムプロジェクトについては、昨年5月22日付のGOクラブで紹介した。
Geisingerは、今年4月に"Precision Health Center"を開設したことを発表した。Precision Health Centerでは、個人ゲノム情報をベースとする臨床研究に加えて、市民のプレシジョン・ヘルスを支援するために、インターネットを使ったビデオシステムを用いて専門家による遠隔医療を提供する取り組みを推進する。
・The University of Texas
The University of Texas Health Science CenterのThe School of Biomedical Informaticsが、Center for Precision Healthを開設することを発表し、このセンター開設の目的は、ビッグデータとプレシジョン医療の時代に突入し、テキサス州における医療と健康に関わる情報科学の教育と研究を促進することであると説明している。
・Arizona University Medical Center
Arizona University Medical Centerは、Precision Health Advisory Council(プレシジョン・ヘルス諮問委員会)を設置し、Precision Healthに対する取り組みを開始した。Arizona University Medical Centerのウェブページを見ると、興味深いことにPrecision Healthに関するページには「矢の的」の画像がモチーフとして挿入されている。特に、"2 Couples Make Major Donations to Precision Health"に関するページでは、注射器が「矢の的」の中央に刺さっているイラストを掲載していることが印象的であり、Precision Healthは、明らかに「正確」「的確」「高精度」である健康管理・維持の実現を目指すものである。
・The Icahn School of Medicine at Mount Sinai
ニューヨーク市にあるMount Sinai医科大学は、今年6月25日に" The Harris Center for Precision Wellness"の開設を発表した。Precision Healthでなく、Precision Wellnessという語を使っているが、実質的には同じ意味といえる。 The Harris Center for Precision Wellnessの開設は、Joshua Harris氏(Apollo Global Managementの共同創業者)と彼の妻であるMarjorie氏が、5百ドルの寄付により実現したものである。発表内容には、オミックスデータだけでなく、幅広い機器からのビックデータを用いてPreciseなHealthとWellnessの実現を目指すことが述べられている。
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