2015年8月28日金曜日

プレシジョン医療について考える(2):ゲノム医療との関係

 次世代シーケンサーとITの発展に伴い、医療の世界も大きく変わろうとしている。この新しい医療に対して多数の用語が提案されている。今年初めに米国が重点化すると発表したプレシジョン医療」について複数回に渡って記事を掲載することにした。今回は、以前からよく使われている用語である「ゲノム医療」との関係を論じてみたい。


ゲノム医療について

  「ゲノム医療」は英語圏の用語である“Genomic Medicine”の訳語である。ヒトゲノム研究を先導してきた機関である米国のNational Human Genome Research Institute (NHGRI)は、ゲノム医療(Genomic Medicine)を以下のように定義している。

 NHGRI defines genomic medicine as "an emerging medical discipline that involves using genomic information about an individual as part of their clinical care (e.g., for diagnostic or therapeutic decision-making) and the health outcomes and policy implications of that clinical use.
 (上文の和訳:NHGRIは、「ゲノム医療」を「臨床ケア(診断や治療手段の決定など)ならびに個人ゲノム情報の臨床利用の健康に及ぼす結果と政策的意味合いの一部として、個人のゲノム情報の利用が関わる新しく浮上してきた医療体系である」と定義している。)
 GOクラブの記事掲載を始めた契機は、革新的に進歩する次世代シーケンサーに関する話題を提供することであった。次世代シーケンサーは、ゲノム解析だけでなく、RNA解析、DNAのメチル化部位の解析、そしてメタゲノム解析など広い分野のオミックス解析に利用することができる。「ゲノム医療」は次世代シーケンサーを用いたDNA/RNA解析が中心になることを考えると、「ゲノム医療」におけるゲノム情報は、広い意味ではgenomics、transcriptomics、metagnomics、epigenomoicsに関わる情報を包含しているといってよいであろう。ヒトゲノム情報の解読が進んでから、個別化医療、ゲノム医療、プレシジョン医療、オミックス医療と、新しい医療に対して数多くの用語が提案されてきた。どの用語の医療も、ヒトゲノム情報の利用は必須であるが、「ゲノム医療」は最も重要な「ゲノム情報の利用」を中心に据えた用語である。
  ここで「ゲノム医療」と「プレシジョン医療」の関係について考えてみたい。両者の差異は、モバイル機器やウェラブル機器から得られるヘルスケアに関するデータやゲノム情報以外の一部のオミックス情報の利用の有無であるといえよう。
 Medscape Medical Newsの今年4月15日に記載された記事「Precision Medicine Needs 'Precision Genomics'」には、次のように記載されている。
 "We all want precision medicine, but one conclusion from these analyses is that we cannot have precision medicine without precision genomics."

首相官邸が進めているゲノム医療実現推進協議会について

  「プレシジョン医療」については、米国が中心となって、米国内だけでなく世界に対しても広く提案を行っているといえるが、日本における個人ゲノム情報を核とする新しい医療の推進の取り組みはどのようになっているのであろうか。
 わが国では、首相官邸の健康・医療戦略推進本部が今年初めから「ゲノム医療実現推進協議会」を発足し、新しい医療の実現に対して本格的な取り組みを始めた。平成 27 年2月の第1回開催以降、これまで4回の会議が開催され、現状と課題、求められる取組について整理し、7月には「中間とりまとめ」が発表されている。この中間とりまとめの中には、ゲノム医療の定義に関して次のように記載されている。
 「本とりまとめは、国内外の状況を鑑み、我が国においても、遺伝要因や環境要因による個人ごとの違いを考慮した医療の実現に向け、オールジャパン体制での取組の強化を速やかに図る必要があるとの認識に立ち、医療への実利用に向けた効果的・効率的な研究開発の推進や研究環境の整備及び『ゲノム情報』をはじめとした各種オミックス解析情報(以下『ゲノム情報等』という。)を用いた国民の健康に資する医療の実現に向けた具体的な方向性を示すものである。
※ 以降、本とりまとめにおいては、『ゲノム医療』とは、個人の『ゲノム情報』をはじめとした各種オミックス検査情報をもとにして、その人の体質や病状に適した『医療』を行うことを指す。具体的には、質と信頼性の担保されたゲノム検査結果等をはじめとした種々の医療情報を用いて診断を行い、最も有効な治療、予防及び発症予測を国民に提供することを言う。ここでいう『ゲノム情報』とは、生殖細胞系列由来 DNA 等に存在する多型情報・変異情報や、後天的に生じるゲノム変化(がん細胞に生じた体細胞変異)、ゲノム修飾、健康に影響を与え得る微生物群(感染病原体など)のゲノム情報を指す。」
 上記の「中間とりまとめ」の説明を読むと、日本が進めようとしている「ゲノム医療」は、英語圏の用語であるGenomic Medicineの定義よりも、より「プレシジョン医療」に近いものといえる。

P4 Medicineについて

  P4 Medicineは、非営利研究機関のInstitute for Systems Biologyの代表であるLeroy Hood博士が提唱した、新しい医療に対する用語である。P4 は、Predictive、Preventive、Personalized、Participatoryの4つのPから由来しており、予測医療、予防医療、個別化医療および患者・市民参加型医療の4つの特徴をP4 Medicineが持つことを表している。Leroy Hood博士は10年以上前、すなわちヒトゲノム解読が成就した後の2002年にP4 Medicineを提唱している。このP4 Medicineが掲げるParticipatoryが、今大きなムーブメントになっているQuantified Self 活動につながっているともいえる(Quantified Self については以前のGOクラブの記事を参照してほしい)。
 前回のGOクラブでプレシジョン医療が持つ3つの特徴について言及したが、P4 Medicineの特徴は、これらの特徴とほぼ同じであることから、P4 Medicineはプレシジョン医療とほぼ同義といってよいだろう。P4 Medicineの語が一般に広がらなかった理由はわからないが、一般の人にとってP4 Medicineという語を見たときにどんなものかイメージしにくいことが理由の一つと思われる。

オミックス医療について

  疾病の新しい分類体系を確立するにあたり、ゲノム情報だけでなく、多数のオミックス情報を統合的に分析することが重要であることについては異論がないであろう。しかしながら、米国では、Omics-based Medicine、Omic MedicineおよびOmics Medicine(日本語訳としては、オミックス医療となる)が使われることは稀である。
 一方、日本では、日本オミックス医療学会が設立され、活発な活動が行われているほか、インターネットで「オミックス医療」を検索すると、非常に多くのウェブページがヒットするくらい、利用頻度が多い用語となっている。オミックス医療という語は、本来はゲノム情報やメタボローム情報などのオミックス情報を利用した医療という意味になると思うが、日本オミックス医療学会のホームページの説明を読むと、プレシジョン医療に近い内容の医療を目指していることが謳われている。

まとめ

   以上、新しい医療に対して上述の複数の用語が使われているが、結局は実現しようとしている新しい医療像には大差はないといえよう。ただし、用語間で意味の相違はあり、時と場合によっては用語を使い分ける必要があろう。また、最も上位概念の新しい医療に対しては、上述の集合論的な考察や科学的な用語としての意味を吟味すると、プレシジョン医療>オミックス医療>ゲノム医療という順位関係になると思うが、この中でどの用語(日本語としての用語)を使うべきかについては悩ましいものがある。上位概念の新しい医療に対して一般の人にとってわかりやすい語を挙げるなら、「ゲノム医療」がよいと思うが・・・。