2014年4月11日金曜日

遺伝子検査・遺伝学的検査・ゲノム診断について考える(3)

 前々回のGOクラブは、疾病の原因となるゲノム・遺伝子の変異について概説した。この疾病の原因変異の探索方法も時代とともに推移している。今回のGOクラブでは、この疾病の原因変異の探索研究の歴史を振り返って考察してみたい。


遺伝子自体を遺伝マーカーとして用いる

  遺伝子(変異)と機能(形質)の関係を調べる分子遺伝学のエッセンスは、大腸菌の遺伝学を例にとればわかりやすいと思う。大腸菌の遺伝学では、解明したい目的変異(X)の位置を知るのに、ある明確な形質を持つ遺伝子の変異(M)をマーカーにして2種類の菌株の交雑によるマッピング解析を行うのが通常の方法であった。すなわち、すでに報告されている遺伝子内の変異(M)から生じる形質を手掛かりに、目的変異(X)が存在する場所(ローカス)を知るためのマッピング解析を行っていた。なお、このようなモデル生物を使った遺伝学では、野生型を基準とし、その遺伝情報とは異なる核酸塩基(またはアミノ酸残基)に変わった場合に、その塩基(アミノ酸)の変化を「変異」と呼ぶ。したがって、変異(mutation)という言葉には、正常(野生型)に対して変わったという意味が込められている。

マイクロサテライトなどを遺伝マーカーとして用いる

  1980年代に入り、組換えDNA技術の誕生およびPCR(Polymerase Chain Reaction)技術の発明により、目的遺伝子や変異の探索研究の方法は大きく変わった。遺伝マーカーとしては、DNAの物理的違いのような「遺伝多型」を目印にする方法、たとえばRFLP(制限断片長多型)解析、ミニサテライト、マイクロサテライトなどが用いられるようになった。これらの手法では、制限酵素消化によるDNAバンドのパターンやPCRによるDNA増幅結果などをマーカーとしている。目的の変異(X)がどの遺伝マーカー(M)の近くにあるか探る手法が、この時代の変異探索法であった。乳がん原因遺伝子で有名になったBRCA1遺伝子の位置は、D17S74という遺伝マーカーを使って同定された。なお、D17S74マーカー中村祐輔博士が発見したものである。

 このような遺伝学的手法以外に、目的遺伝子をクローニングし、目的遺伝子の強制発現や目的遺伝子の破壊などの手法、すなわち「逆遺伝学的手法」も多く使われるようになった。仮に逆遺伝学的方法によりモデルケースとして疾病の症状が出たとしても、ヒトの疾病原因を推測するのに役立つ。

SNP(一塩基多型)を遺伝マーカーとして用いる

  ヒトのゲノム解読が進み、塩基配列の多型が発見された。ヒトゲノム解読は一人のゲノムのシーケンシングだけでなく、多数の人のゲノムシーケンシングが行われたことも寄与して、300万個にも及ぶSNP(一塩基多型)が発見された。このようにSNPはゲノム地図上に膨大な数のマーカーとして存在するものになるので、SNPを遺伝マーカーとして用いる原因変異マッピングは「高密度マッピング」とも呼ばれる。したがって、SNPは高密度に存在することから、マイクロサテライトなどのマーカーとは違い、目的変異をマッピングしやすいという利点がある。
 以上の分子遺伝学の歴史を辿ればわかるように、SNPとは目的変異(X)の位置を知るための一里塚として利用されている。しかしながら、SNPを用いた疾病原因変異の探索研究の成果は、「そのSNPマーカー(M)の近くに疾病原因変異(X)の存在ローカス(場所)がある」という科学的発見であって、そのSNPマーカーで疾病罹患性を診断できるという発見ではない。SNPマーカー(M)は多くの場合には目的変異(X)とは異なるので、SNPマーカー(しかも2つの値だけ)をもとにした疾病罹患性の検査・診断は信頼性に乏しいことは留意すべき事項である。また、疾病罹患性診断においては、往々にしてSNPに関する学術論文が発表されているから、信頼性があるという説明を行う向きがあるが、それは早計であることは上の説明からも理解できると思う。

SNPを用いたGWAS研究への過剰な期待

  ヒトの疾病の多くは、多数の人に現れるので、太古の昔に入った変異が疾病発症の原因になっていることが多いだろうという期待を抱いた。この期待に基づき、GWAS(Genome-Wide Association Study)研究に膨大な投資がなされ、SNPをマーカーにすれば個別化医療につながるに違いないと考える人が多かった。

 しかしながら、最近次世代シーケンシング(NGS)による個人ゲノムの解析が進められた結果、次の項で述べるように、SNPのタイピングが多くの疾病の原因変異の同定につながるという考えは誤りであることがわかった。この背景には、ヒトの疾病は表現形も同じなので、遺伝子レベルの原因も同じ場合が多いだろうという期待あるいは思い込みがあったと思う。

SNVの中から目的変異を同定する時代へ

  Wenqing Fuらは、「タンパク質コード領域内の変異のうち約73%、また有害と思われる変異のうち86%が、過去5000年~1万年以内に生じたものであると推定される」という研究成果を、昨年初めにNature誌に発表した〔Analysis of 6,515 exomes reveals a recent origin of most human protein-coding variants; Nature 10, 493 (2013)〕。この研究成果から、疾病に関わる変異の多くは比較的最近発生したことになるし、常時新しい疾患変異が発生していることにもなる。この事実より、個別化医療を実現するには、ヒト集団内で高頻度に出現するSNPのタイピングに基づく診断より、個人ゲノムのNGS解析で見出されるSNV (Single Nucleotide Variation)に注目してゲノム診断を行うことが望ましい。
 この発表は、疾病原因変異の探索研究の世界に対して大きな衝撃を与えたと思う。前回のGOクラブで紹介したGoogleによる新ベンチャー企業Calicoの設立やJ. Craig Venter氏による新ベンチャー企業Human Longevity, Inc.の設立に対して少なからずとも影響を与えたに違いない。
 
 さて、このように個人ゲノムの解読が普遍的になってくると、野生株・親株という概念がある遺伝学とは異なり、個人ゲノム解析では「変異」という用語の使用は注意が必要である。その理由は、ヒトの遺伝学的解析の場合には、野生型という概念がはっきりしていないうえ、集団内で多型が観察されるからである。タンパク質の機能が変化するなど、正常(野生型)と形質が変わるのであれば、「変異」と呼んでよいが、従来の遺伝学のように、単にヒトゲノムの塩基配列が変化しただけのものを「変異」と呼ぶのは、正確には誤りである。個人ゲノム情報が解読される時代になり、この理解の混乱が生じている。
 次回は、23andMeなどがサービスを提供している「DTC遺伝学的検査」を紹介しようと思うが、このDTC遺伝学的検査こそが、SNPをベースとしたGWAS研究成果を無理やり疾病診断予測に利用しようとしているものであり、上述の説明からも、DTC遺伝学的検査を疾病罹患性検査・診断に用いることは無理があるだろう。