J. Craig Venter氏の軌跡
J. Craig Venter氏は、常に世界最先端を目指す研究者であり、起業家である。Venter氏はNIHで研究していた際、ヒトcDNAの断片(EST; Expressed Sequence Tag)を網羅的に解析し、いわゆるEST特許を出願したことにより、話題になった。その後、全ゲノムショットガン法という斬新な方法により、世界で初めて1つの生物(インフルエンザ菌)のゲノム解読を成し遂げた。その後、世界のヒトゲノム研究チームと対抗して、Celera Genomicsを立ち上げ、ヒトの全ゲノム解読を世界で初めて行った。 その後も、海洋から広く微生物集団を収集し、メタゲノム解析を行うなど、先導的ゲノム研究を精力的に推進している。2006年にはJ. Craig Venter Instituteを設立し、合成生物学研究に注力するとともに、合成生命(細菌ゲノムの全合成)の創製も成し遂げている。また、Venter氏は、2009年に合成生物学研究の成果をもとにSynthetic Genomics, Inc. を設立し、Exxon Mobileから総額600百万ドル(約600億円)の研究資金を得て、バイオ燃料生産のための合成生物学研究を推進している。 |
Human Longevity, Inc. (HLI) の設立
J. Craig Venter氏は、長寿と老化防止を目指す疾病診断と幹細胞治療のベンチャー企業HLI (Human Longevity, Inc.) を2013年に設立したことを2014年3月4日付けで発表した。創業者は、J. Craig Venter氏以外に、幹細胞研究のパイオニアであるRobert Hariri氏とPeter H. Diamandis氏である。Diamandis氏は医師、起業家でもあり、X foundationの会長でもある。 HLI は、社名のとおり、長寿と老化防止を実現することを目指しているが、疾病治療というより、予防医療・先制医療という「健康状態の維持」を目標としている。単に、長寿という漠然とした理念だけでなく、具体的なターゲット疾患を定めている。HLI が選択した疾患は、癌、糖尿病、肥満、心疾患、肝疾患、そして認知症である。いずれも歳をとるにつれて、罹患する疾患である。当面は癌を重点化すると発表している。 HLI は、毎年10万人規模の患者について全ゲノム情報を解読し、さらにマイクロバイオーム(Microbiome)・データ、メタボローム・データ、ならびに臨床・疾病関連データを相互に関連付けることにより、個人の疾病の原因や状態を明らかにすることを目指す。また、UC San Diego校との共同研究により、これら疾患に役立つ幹細胞治療技術の開発も進める。患者を対象とする研究は、UC San Diego校の病院と連携して進める。まず、今年初めに発売されたIlluminaのHiSeq X Tenを2セット(HiSeq X 20台)導入することを決めた。この導入により、とりあえず年間4万人の個人ゲノム解読を行うが、目標は年間10万人の全ゲノム解読である。患者サンプルのメタボローム解析は、Metabolon, Inc. との共同研究で推進する。
研究開発資金としては、マレーシアの大富豪であるTan Sri Lim Kok Thay氏とIlluminaが中心となって70百万ドル(約70億円)を提供する。この資金により約18ヶ月の活動を維持できる。HLI の顧客としては、製薬企業、バイオテク企業、診断企業、大学研究機関に加えて、保険会社を想定している。
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Googleが設立した長寿ベンチャーCalico
Googleは、2013年9月18日に、長寿の実現を目指すベンチャー“Calico”を設立したことを発表した。Calicoは、California Life Companyの略で、文字通り、バイオベンチャー企業である。CalicoのCEOには、GenentechとAppleの会長であるArthur D. Levinson氏が就いた。また、長寿研究に445百万ドルを寄付したOracle社のCEOであるLarry Ellison氏、ならびに長寿研究に3.5百万ドルを寄付したPeter Thiel氏(PayPal のco-founderとFacebookの出資者)もCalicoの活動を支援する。Googleは、Calicoの方針や活動内容を明らかにしていないので、詳細は不明である。ただし、長寿と老化に関わる疾患に立ち向かうことが目標であるので、対象疾患はHLI と重なるであろう。したがって、HLI はまさにCalicoと同じ土俵で戦いを行うことになる。 |
Googleが推進するヒトゲノムビジネス
Googleがヘルスケアビジネスを手掛けるのは、Calicoの設立が初めてではない。Googleは、2008年には分散している個人の健康情報や投薬情報などをまとめて管理する"Google Health”という名称のサービスを開始した。しかし、このサービスは広がらず、2011年に終了している。Direct-to-Consumer (DTC) 遺伝学的検査サービスを提供してい23andMe, Inc. は、Google創業者Sergey Brin氏の妻であるAnne Wojcicki氏がCEOを務め、Google venturesも出資している。また、Google venturesはゲノム解析のクラウドサービスを展開しているDNAnexus, Inc. にも出資している。 GoogleのCalico設立後の興味深い動きとしては、3月初めに、ウェブベースのゲノム解析用ツールである“Google Genomics”を発表したことが挙げられる。また、Googleは、今年の2月末にGlobal Alliance for Genomics and Healthに加入したことも公表した。Google Genomicsは、大量のゲノムデータのインポート、処理、保管および検索を簡便に実施できるAPI (Application Programming Interface) である。この発表は、Googleもヒトゲノムビジネスに本格的に参画することを意味するのであろう。 |
CalicoとHLIの設立から見る時代の変化
昨年のGoogleによるCalicoの設立、Illuminaによる1,000ドルゲノム・シーケンサーHiSeq X Tenの発売、Venter氏によるHLI の設立などの一連の出来事は、いわゆる医療を、“Sick Care”から“Healthy Care(先制医療・予防医療)”にパラダイムシフトしようという流れが出てきたことを意味するであろう。これは、前回のGOクラブでも論説したように、疾病の原因が変異レベルでも個人ごとに多様であることがわかったことが契機になっていると思われる。また、この一連の流れは、SNPなどの遺伝的マーカーをもとにした疾病原因の探索研究の終焉を意味するとともに、個人ごとの疾病発症原因の多様性を理解するには、10万人規模の全ゲノムシーケンシングまたはエキソームシーケンシング、ならびにそのシーケンシング結果に基づいて変異と形質の連関を知ることが重要であることを意味している。 |