はじめに
女優アンジェリーナ・ジョリーさんが、乳がんに罹患しやすくなる遺伝子変異(BRCA1遺伝子の変異)を持っていることから、乳がんを予防するために乳腺を切除する手術を受けたことを昨年5月に発表した。この発表以来、我が国でも、いわゆる「遺伝子検査」に関心を持つ一般の消費者が多くなった。また、医療機関を介さずに直接消費者に遺伝子検査サービス(DTC遺伝学的検査)を提供する企業も増えてきている。一方で、DTC遺伝学的検査に関する問題点も多数指摘されている。また、「DTC遺伝学的検査」と「医療機関等で実施している遺伝子検査」との違いもわかりにくくなっている。GOクラブでは、遺伝子検査と遺伝学的検査の違いについては、記事「遺伝子検査・遺伝学的検査・ゲノム診断について考える(1)」で概説したので、その記事を参照してほしい。 |
DTC遺伝学的検査とは
DTCは、Direct-to-Consumerの略であり、DTC遺伝学的検査とは「DNAの配列の違いに基づいて疾病罹患性などの形質に関する検査結果を直接消費者に対して提供するサービス」のことである。日本では、この検査サービスを一般に「遺伝子検査」と呼んでいるが、本稿では、米国で“Direct-to-Consumer Genetic Testing”と呼ばれているので、その日本語訳である「DTC遺伝学的検査」という用語を用いることにする。 DTC遺伝学的検査を提供する企業としては、米国の23andMe, Inc.が著名である。そのサービス内容は、消費者が企業から送付された器具を用いて唾液または口の中の細胞を採取した後、その細胞を用いて企業が主にDNAチップを用いてSNP(一塩基多型;Single Nucleotide Polymorphsimの略)のタイピングを行うものである。これまでのGOクラブで説明したように、得られたSNPタイピングの結果をもとに、特定のSNPが疾病罹患性などと関連しているとして、疾病罹患性を予測するというものである。ただし、我が国では、DNAチップを使って網羅的にSNPタイピングを行う企業は少なく、サンガーシーケンシング法などを用いて少数のSNPのタイプを解析するサービスが多い。 |
DTC遺伝学的検査の歴史
ヒトゲノム配列の解読は、2000年6月にドラフト配列の解読が終わったことが報告され、続いて、2003年4月に全ゲノム解読の完了が発表された。前回のGOクラブでも紹介したが、このヒトゲノム解読をきっかけとして、DNAチップを用いてゲノムワイドに疾病発症などの形質と変異の関係を探るGenome-Wide Association Study (GWAS) が始まった。最初のGWASの研究成果〔Haines, J. et al.,: Complement Factor H Variant Increases the Risk of Age-Related Macular Degeneration. Science 308, 419-421 (2005)〕は、2005年のScience誌に発表された。このようなGWASの進展を背景として、米国では多数のDTC遺伝学的検査を行うベンチャー企業が設立されたが、23andMeが設立されたのは2006年4月である。このころは、ちょうど次世代シーケンサーの発売が始まったときで、次世代シーケンサーの評価もまだ定まらない時期であった。最近日本でもDTC遺伝学的検査ブームになっているが、米国では約8年前からDTC遺伝学的検査ベンチャーが設立され、そのブームは5~6年ほど前に頂点に達した。 GOクラブの過去の調査では、米国では30社近いDTC遺伝学的検査企業が設立され、活動を行っていたことを把握している。代表的な企業としては、23andMe、Navigenics、deCODE Genetics、Pathway Genomicsが挙げられる。2008年6月に、カリフォルニア州は、その当時カリフォルニア州でDTC遺伝学的検査サービスを提供していた13企業に対して、この検査サービスは臨床検査サービスに相当するとして、臨床検査ラボのライセンスの取得が必要であることを求めた。このときライセンスを取得した企業は23andMeとNavigenicsの2社だけで、一気にDTC遺伝学的検査企業の数は減少した。その後、これまでのGOクラブでの記事でも紹介したように、SNPタイピングをもとにした疾病罹患性予測は精度が悪いこともあり、DTC遺伝学的検査企業の数は次第に減少した。Navigenicsは2012年7月にLife Technologiesに買収され、23andMeも昨年11月にFDAから疾病罹患性予測サービスの停止命令を受け、このサービスを停止した。したがって、米国では、SNPタイピングをベースとして疾病罹患性に関するDTC遺伝学的検査を提供する企業は皆無であると思われる。 |
なぜDTC遺伝学的検査は「占い」とか「おみくじ」と呼ばれるのか
上述のように、DTC遺伝学的検査では、SNPのタイピングに基づいて疾病罹患性などの目的形質の有無に関して予測を行う。専門家は、この検査を「占い」とか「おみくじ」と同じと評することが多い。その理由については、GOクラブの過去の記事を読んでいただければ理解していただけると思うが、ここで改めて説明しようと思う。 Wikipediaの“Genome-wide association study”では、SNPタイピングに基づく疾病原因変異の予測方法について事例を挙げて説明している。この事例では、疾病罹患者群と健常人群の間で、あるSNPの塩基出現頻度を調べた結果、疾病罹患者群と健常人群のG塩基の出現頻度がそれぞれ52.6%、44.6%であり、両群の差はカイ2乗検定のp値=5.0×10-15の確率で有意であることが記載されている。この結果は、このSNPマーカーの近傍に疾病発症に関わる変異が存在する確度が高いことを示している。
この事例において人口当たりの疾病罹患率が1.0%である場合、4000人を検査したときの仮想例を右表に示す(SNPのタイプでGG型、GC型、CC型の3つに分類した)。この表は、GG型またはGC型を持つ人の集団はCC型を持つ集団よりも疾病罹患者の割合が多いことを示しているが、疾病発症に関わる変異の保有という点では、どのSNPタイプでも大差ないことがわかる。また、仮に罹患率が高いSNPタイプ(=「凶のくじ」に相当)を持っていたとしても、本人がその変異(=「現実の災い」に相当)を保有しているかどうかはわからない。このように、SNPタイピングに基づくDTC遺伝学的検査は、多くの場合に実質疾病罹患性を予測することはできないので、「占い」とか「おみくじ」と呼ばれる。
さらに付け加えれば、遺伝子内の形質発現に影響する変異、たとえばBRCA1遺伝子の変異について言及すると、この変異を有すると歳を取るにつれてかなりの確率で乳がんが発生することが明らかになっている。この場合の疾病罹患率と上述のGWASにおけるSNPタイプごとの疾病罹患率は全く意味が異なることも留意すべきである。
なお、耳垢のタイプと関係するSNP(ABCC11遺伝子の変異;dbSNP番号=rs17822931)のように、SNPそのものが変異と同一であるときには、直接形質発現の判定につながる場合もある。
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日本におけるDTC遺伝学的検査の今後
GOクラブでは、これまでの「遺伝子検査・遺伝学的検査・ゲノム診断について考える」の記事で、DTC遺伝学的検査に対して批判的な論調で説明してきたが、DTC遺伝学的検査は、国のガイドライン等を遵守した上でサービスを提供すれば、一般市民が遺伝子検査やゲノム診断に対して理解度も深まるので必要なものと考える。 DTC遺伝学的検査は家族・親族にも影響を与えるものなので、慎重な運用が必要であると言われている。耳垢や髪の毛の太さのような形質は第三者も容易に知りうる形質であるうえ、基本的に疾病発症にも関わっていないので、直接消費者向けの検査で判定してよい形質・変異といってもよいであろう。たとえば、SNPタイピングに基づくアルコール感受性検査は有意義であろう。成人になったときに飲酒をしたときに、具合が悪くなる人も多い。保健所でもアルコール感受性検査を行っているが、DTC遺伝学的検査によりアルコール脱水素酵素遺伝子(ADH1B遺伝子)とアルデヒド脱水素酵素遺伝子(ALDH2遺伝子)の変異を調べれば、より詳細なアルコールに対する感受性を調べることができる。武庫川女子大学・バイオサイエンス研究所・ゲノム診断センターでは、新入生全員を対象として、このアルコールに対する感受性に関わる変異の検査を提供しており、好ましい活動と思う。 以前のGOクラブでも論説したが、診断・検査分野における「遺伝子検査」とは、薬事法に従って実施される「病原体やがんなどの体細胞の変異を検出する検査」に対して使われてきた用語でもあるので、DTC遺伝学的検査を遺伝子検査と呼ぶことは誤解を与えかねないことを述べた。また、DTC遺伝学的検査の検査対象は遺伝子でなく、非遺伝子領域に多く存在するSNPであることもすでに述べた。したがって、「遺伝子検査」ではなく、他の名称に変更した方がよいであろう。たとえば、すでに使われている呼称であるが、「SNP検査」という語はよいと思う。または、「遺伝子占い」という語も実体を表しているものと思う。 |