2015年10月23日金曜日

個別化医療について考える(2):次世代シーケンシング時代の個別化医療

 前回のGOクラブでは、一塩基多型をベースとする「個別化医療」について概説し、その実現は困難であったことを紹介した。今回のGOクラブでは、次世代シーケンサーを用いた個人ゲノム解読の進展やIT技術の発展とともに、個別化医療に対する考え方が変化しつつあることを紹介する。

ゲノムワイド関連解析と個別化医療

  前回のGOクラブでも説明したように、個別化医療では、一塩基多型(SNP)のタイピングに基づいて、疾病の原因や薬の効果や副作用を判定し、個人に合った治療を施すことを目指した。SNPの出現頻度は1000塩基に1か所程度である。したがって、SNPタイピングを用いた研究では、ヒト全塩基配列(約30億塩基)のうち、約0.1%の配列バリエーションをもとにして、疾病罹患性などの目的形質に関連するSNPやコピー数多型(Copy Number Variation; CNV)を見出すことが行われる。この研究は、ゲノムワイド関連解析(Genome-Wide Association Study;GWAS)と呼ばれる。具体的には、Illuminaのビーズチップ(HumanOmni BeadChip)やAffymetrixのGeneChip(Genome-Wide Human SNP Array)などのDNAチップ/DNAマイクロアレイを用いて180~430万か所のSNPやCNVを調べ、目的形質と相関があるSNPやCNVを見出す研究が行われている。

 GWASの成果の概要は米国National Human Genome Research Instituteのウェブページに掲載されている。また、その具体的な詳細結果をまとめた“GWASカタログ”は、European Molecular Biology Laboratory-European Bioinformatics Instituteのホームページからダウンロードすることができる。最新版のGWASカタログ(2015年10月中旬時点)には、22695か所のSNPと目的形質の連関解析の結果がまとめられている。このGWASカタログを見ると、疾病の原因と直接関連があるSNPはごくわずかであることがわかる。また、個別化医療で期待された個人間の薬効の差やADME(吸収・分布・代謝・排出)・副作用などに関わるSNPの探索研究については、期待された成果が上がらなかった。

「変異-選択仮説」について

  遺伝子の変異が原因となる疾病発症の仮説として、「疾患共通変異仮説」のほかに「変異-選択仮説(mutation-selection hypothesis)」が知られている。「変異-選択仮説」では、疾患発症に関わる変異が発生した場合には生存にとって不利なので、その変異が受け継がれにくいという選択が働くと考える。したがって、疾患の発症リスクは主に自然選択によって比較的迅速に入れ替わり、多種多様な変異が出現する。また、疾病原因として共通の変異が見つかることもあるが、出現頻度は多くの場合低い。なお、「変異-選択仮説」の詳細については、医学教科書“Human Molecular Genetics 第4版” を参照してほしい。

次世代シーケンシング(NGS)が解き明かした真実

  次世代シーケンサーは2005年に発売された後、急速に普及した。また、疾病の原因変異が存在する可能性が高い領域(エキソン領域、エキソン・イントロンの境界領域およびプロモーター領域)の配列を効率よく解析するために、次世代シーケンサーを用いたエキソームシーケンシング法が開発された。そして、主にこの方法を用いて患者のゲノム情報が解明された結果、がん疾病を中心に膨大な数の疾病原因変異が同定された。
 さらに、トリオ解析や孤発性疾患患者や難病患者のNGS解析でも、疾病原因変異が加速度的に解明されている。トリオ解析とは、両親とその子供の個人ゲノム配列の比較解析を意味しており、両親は疾病に罹患していないが、子供が疾病に罹患している場合によく使われる。トリオ解析により、両親がある遺伝子に劣性変異を持っており、子供が両親からの変異をホモで持ったときに発症するケース以外に、両親にはない変異が新規に子供に生じている例も多数発見されている。
 このような個人ゲノムのNGS解析研究の結果、疾病原因変異のほとんどがSNPとは一致していないことがわかった。また、異なる遺伝子内の変異であっても、これら遺伝子が1つの経路に関与する場合には同じ疾病が発生することも明らかになった。さらに、同一遺伝子内に異なる変異が広く存在し、同じ疾病が生じる例が多いこともわかってきた。この現象は特にがん疾病で広くあてはまることが証明されている。さらに、2014年4月11日のGOクラブでも述べたが、「疾病原因変異の多くが過去5000年~1万年以内に生じたものである」という研究成果が発表され、多くの変異が「変異-選択仮説」に適合するものであることがわかった。このように、多くの疾患で「変異-選択仮説」が当てはまることが証明されつつある。

個別化医療を再定義する

  従来の「個別化医療」は、以前 "the right patient, the right drug, the right dose, the right time" という標語が掲げられていたように、SNPをベースとして疾病の原因や薬の副作用や効果を予測して、個人にあった投薬や治療を行う医療であった。しかしながら、上述のように、ゲノムワイド関連解析の結果、SNPタイピングでは個別化医療を実現することは困難であることがわかった。一方で、NGS解析により膨大な数の疾病原因変異が解明され、NGSをベースとした個別化医療を推進できる可能性が開けてきた。上述したように、同じ経路に関与する複数の遺伝子のいずれかに原因変異が入り、同じ疾病を発症している現象も明らかになり、一つの医薬品が当初予想されたよりも広く有効であることも期待される。また、NGS解析により疾病の発症や疾病進展の予測も可能になり、さらに疾病予防への道も開けてきた。
 ここで、新しい個別化医療における個人ゲノム情報の利用に関して、従来の個別化医療の主役であったSNPの位置付けが問題となるが、疾病発症に直接関わるSNPは少数であることから、SNP情報の利用はPrecise(正確・高精度)な医療につながらない。当然のことながら、個人のSNP情報を用いた診断はプレシジョン医療にとっては適切ではない。SNPは疾患遺伝子の探索にとって有用なマーカーではあるが、新しい時代の個別化医療では利用すべきではないと思う。
 最近はスマートフォンやタブレットなどの携帯情報端末、そしてウェラブルデバイスを介して、個々人のヘルスケア情報を計測したり、収集できるようになった。また、iPhoneを介して、疾病解析研究などに参加できるような状況にもなっている。なお、従来の「個別化医療」では、これらデバイスから取得できるヘルスケア情報を利用することは想定されていなかったが、プレシジョン医療では、ゲノム情報を中心とするオミックス情報、カルテ情報および医療情報に加えて、個人が持つ携帯情報端末やウェラブルデバイスからの情報も利用することを目指している。
 これらを踏まえると、新しい時代の個別化医療とは、個人ゲノム情報を中心とする各種オミックス情報を活用して、個人にあった投薬や治療を行い、さらに疾病予測や疾病予防も行う医療と定義すべきであろう。

IT革命が「個別化医療」及ぼす影響

  前々回のGOクラブでオバマ大統領の前特別補佐官であるBob Kocher氏がForbesに"Precision Health: Policy Needs To Catch Up To Science"の記事を寄稿したことを紹介した。この記事の冒頭の文章は、"Technology is turning the 21st century into the century of personalization."で始まっている。コンピューターやインターネットなどの情報技術の発展と爆発的な普及により、個々人が多様な情報にアクセスすることが可能になっただけでなく、コミュニケーションが多様化したことで、各人が自由に活動したり、情報の受発信を容易に行えるようになった現在は、まさに “personalization”の時代といえよう。このように、様々な分野で「個別化」に向かう変化が起こっており、さらに携帯情報端末の高度化がその変化を加速化させている。そして、このIT革命の波が医療・ヘルスケアの世界にも及んでいる。
 従来の「個別化医療」は製薬企業や医療機関の視点から発想されたものであり、薬の開発と治療に重きが置かれていた。ところが、近年のIT革命の進展により、患者や一般市民の視点から医療を考え、積極的に健康を維持・管理しようという新しい流れが出てきた。新しい時代の医療はいわゆる「Sick Care」から「Health Care」へと変換しつつあり、「個別化医療」の在り方にも大きな影響を与えている。この話題については、第3回目の「個別化医療について考える(3)」の記事で議論してみたいと思う。