オミックスの語源と意味
omicsの語源は、“genomics”という語の誕生に遡る。この語は、1986年に米国Jackson研究所の遺伝学者であったThomas H. Roderick博士がゲノム分野の研究を行う学問に対して“genomics (genom + ics)”と名付けたことに由来している。その後、“proteomics”や“metabolomics”などの語が誕生し、接尾辞にomicsが付く学問を総合した用語として、“omics”という語が誕生した。そして、omicsの発音に近い「オミックス」というカタカナ語が日本語としてあてられた。オミックス(omics)は、Omics.orgによると、「生命の各種 -ome 階層(クラスター)内の生物情報実体の相互作用と機能を分析するための科学と工学の学問」と定義されている。オミックスの意味については、「オミックスとは(後編)」で詳しく紹介したいと思う。なお、omicsのカタカナ表記としては、「オミックス」以外に、「オミクス」と「オーミクス」が使われているが、今回のGOクラブでは、これらの語源について推察し、科学分野のカタカナ語の問題について論じてみたい。 |
オミクスの語源に関する推察
omicsに対するカタカナ語として「オミクス」という語も見かける。この語の語源について推察してみたい。
これらの語に似ている単語としてeconomicsが挙げられる。economicsのカタカナ語としては「エコノミックス」がよく使われていたが、最近では促音「ッ」を取った「エコノミクス」が多く使われている。このように、「ミックス」でなく「ミクス」と表記することが一般的になってきたこともあり、ゲノミックスよりもゲノミクスが好まれるようになったのであろう。
さて、「オミクス」の語源であるが、ゲノミックスをゲノミクスとしたように、オミックスの「ッ」を取って「オミクス」という語を案出したと推察される。個別のオミックスであるゲノミクス、プロテオミクス、メタボロミクスなどの接尾語との整合するのでよいと考えたのであろう。また、タイピングしやすい(日本語に変換しやすい)とか、報告書や要旨などでは字数が少なくしたいという要求もあり、短い語である「オミクス」を採用する人がいるのではないかと推測する。
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オーミクスの語源に関する推察
意外なことに、ウェブ辞典である日本語版Wikipediaでは、omicsのカタカナ語として「オーミクス」をあてている。Wikipediaでの最初の記述は2005年6月29日であるので、おそらく「オミクス」という語の案出の方が先だと思われる。Wikipediaの説明は特定の作者が記述したものであり、すべてが正しい記述であるともいえないだけに、問題を生じる懸念がある。「オミックス」が使われ、さらに「オミクス」が登場した中で、敢えて「オーミクス」という語を使った意図は不明であるが、この語の誕生については以下のように推察される。
“-ome(genomeなどの接尾辞)”や“omics”という語の意味について論じた文献としては、The Wholeness in Suffix -omics, -omes, and the Word Om〔J Biomol Tech. 18, 277 (2007)〕が挙げられる。この文献を読むと、“-ome”の発音は、“Aum”または“Om”であると記載されている。ただし、“-ome”のカタカナとしては、発音に由来する「アウム」や「オム」でなく、「オーム」と記載されることが多いと思う。この「オーム」を学問の名前とすると、「オーミクス」が適切であろうという発案になる。オームは接尾語のカタカナ化であり、発音することはあるが、単語として見かけることは極めて稀であるので、「オーム」から「オーミクス」を案出することには違和感を感じる。
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オミックス、オミクス、オーミクス、どの語がよいか?
(1) 使用頻度
Google検索を行うと、「オミックス」が最も多く出現し、次いで「オミクス」、「オーミクス」の順であることがわかる。“-ics”は学問を表す接尾辞であり、カタカナ語も多い。physics(物理学)、statistics(統計学)、statics(静力学)、metrics(計量学)、ethics(倫理学)、logics(論理学)については、いずれもフィジックス、スタティスティックス、スタティックス、メトリックス、エシックス、ロジックスと、促音「ッ」が入っている語の方が多く使われている。
(2) 綴りと発音の一致性
omicsを発音した場合には、最も近い綴りが「オミックス」であろう。WordKiwiで日本語としての発音を聞いてみると、genomicsはゲノミクス、omicsはオミックスに聞こえる。すなわち、genomicsの-micsの発音は促音がないくらい「ミクス」に近く、omicsは単語の文字数が少ないこともあり、促音「ッ」がはっきりしている。
「オミクス」を「おみくじ」のように日本語的発音で平坦に読み上げると意味が通じにくい。日本語はアクセントがないというが、omicsの場合には、オに若干のアクセントをつける人が多いだろう。若干のアクセントをつけると、促音「ッ」を入れないと綴りと発音の一致性がなくなる。なお、オーミクスについては、その綴りの発音は本来の発音から最もかけ離れている。
(3) 形容詞omicのカタカナ表記
omics以外に、形容詞“omic”も、omic data、omic information、omic analysis、omic approach、omic science、omic study、omic technologiesとしてよく使われている。“omic”は「omeの形容詞」として使われるか、または「genomicsやproteomicsなどのomics分野における手法やデータに関する」という意味になる。なお、omics dataやomics informationのように、omicのかわりにomicsが用いられることも多いが、omic space(オミック・スペース;文献1)、omic layer(オミック・レイヤー;文献2、3、4)、omic vector(オミック・ベクトル)のように、omicsで代用できないと思われる用例もある。したがって、英文の和訳ではomicとomicsで意味が異なることがあるので、形容詞omicに対するカタカナ表記は必要となるであろう。もし「オミクス」ルールを採用するなら、omic spaceは「オミク・スペース」となるが、かなり不自然な気がする。また、「オーミクス」ルールを採用するなら、「オーミク・スペース」となり、もっと不自然になる。
以上の考察から、“omics”に対するカタカナ表記としては、「オミックス」、「オミクス」、「オーミクス」という順で採用し、発音は「オ」に若干のアクセントをつけることが好ましいと考える。
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科学用語のカタカナ綴り問題に関する考察
科学用語については、英語なら綴りは同一であり、読みは国や地域や人により異なる。海外で創出された科学用語については、そのカタカナ綴りは時代背景によって決まり、ときとして変化していく場合があるのが実態である。なるべく一つの綴りに統一すべきであるが、適切な綴りを選ぶルールが存在しているわけでないので、複数のカタカナ綴りが出現する場合がある。そして、綴りの多様性に伴って発音も多様性が生じるので、やっかいな話になる。
今回取り上げたomicsの場合は、最初に案出された綴りは原語の発音のカタカナ化であったが、しばらくすると、文字から外来語を変化させていく事象が認められた。発音を気にせずに文字としての外来語を検討すると、原語の発音から離れたカタカナ綴りになることもある。カタカナ綴りを外国語の発音に近づけようという流れがある中、原語の発音と綴りの類似性は重視すべきであろう。また、オミックス、オミクス、オーミクスのように、3種類ものカタカナ語が使われると、研究者だけでなく、一般の方々にとっても困惑する原因にもなる。したがって、特に既存のカタカナ表記がある科学用語に対して別の表記を使うことを希望するときには、多面的な考察を行ったうえで慎重にカタカナ表記を提案する必要があると思う。インターネットが普及しているので、ネットを介して新しい表記を提案する理由や賛否の意見も集めることもよいかもしれない。
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