2015年2月6日金曜日

米国が推進する“Precision Medicine”について考える

 米国のオバマ大統領は、「Precision Medicineの推進」に対して215百万ドル(約250億円)の資金を投じることを今年の1月20日に発表した。この“Precision Medicine”という語は見慣れない言葉であるが、今回のGOクラブでは、オバマ大統領が力を入れる“Precision Medicine”について考えてみる。


米国・オバマ大統領が発表した“Precision Medicine Initiative”の内容

 オバマ大統領が215百万ドルの資金を投入する“Precision Medicine Initiative”とは、特にがんと希少疾患を対象に、「ゲノム情報・環境要因・ライフスタイル」が「健康維持・疾病発症」にどのように影響するかを、100万人以上を対象に調べることにより、特定の疾病の罹患性について患者/潜在的罹患者をサブグループに分け、そのグループごとに適切な治療法や発症予防法を開発するというものである。

 215百万ドルのうち130百万ドルは、NIHが推進する100万人以上のコホート研究に対して投じられる。National Cancer Instituteへの70百万ドルの資金は、がんゲノム解析によるがんドライバー変異などの同定をおこない、より効果的ながん治療法の確立のために充てられる。FDAへは10百万ドルが投じられ、Precision Medicineにおけるイノベーションを推進するための審査体制をサポートするデータベースの開発に使われる。残る5百万ドルは、National Coordinator for Health Information Technologyに割り当てられ、散在するデータを利用できるようにするための運用基準・標準規格の開発と、個人情報のプライバシー保護とデータセキュリティーの強化のために使われる。
 “Precision Medicine Initiative”では、100万人以上の個人ゲノム情報を収集するが、今回の予算で新たに100万人のゲノム情報を解読するのではなく、米国ですでに始まっている多数の大規模個人ゲノム情報プロジェクトの、データを統合化することを目指している。
  
 米国ホワイトハウスは、従来型医療(“one-size-fits-all”型医療)は「平均的な患者」のためにデザインされてきたが、“Precision Medicine Initiative”の開始は、従来型医療からの脱却を促し、医療の世界に変革をもたらすと予想している。

“Precision Medicine”とは:“Personalized Medicine”との違い

 “Personalized Medicine”と“Precision Medicine”は、ほぼ同じ意味で用いられると解説されることがあるが、新しく目指す医療が“Personalized Medicine”という語では適切ではないとして、“Precision Medicine”という語と概念が生み出された。すなわち、“Precision Medicine”という語が誕生した背景には、“Personalized Medicine”が元来意味するものが、次世代シーケンサー時代の医療に合わなくなってきたという事情がある。そのいきさつについては、Nature Medicineの記事にも紹介されているので、そちらを参照してほしい。また、“Personalized Medicine”と“Precision Medicine”の違いは、Wikipediaにも紹介されている。
 “Personalized Medicine”では、ヒトゲノム情報が解読され、高頻度で見い出されるDNA情報の違い(Single Nucleotide Polymorphism;SNP)と、疾患罹患性/薬物感受性などの相関関係情報などをもとに、個々人に適した治療法を提供することを目指してきた。その後、個人ゲノム情報が次世代シーケンシング(NGS)解析を用いて精密に分析されるようになり、個々人の疾病原因・状態は想定以上に複雑であることがわかった。その結果、現実的な医療を施す場合には、患者のサブグループ分けを行い、そのサブグループごとの治療法の確立および予防医療の提供が、目指すべきものであるという考えが台頭してきた。
 このように考察すると、NGSの発達により膨大なデータが産生され、極端な言い方をすれば個人ごとに疾病の発症要因が異なるともいえることから、現場の医師はどのような医療処置を施してよいのか困惑する可能性がある。この問題を解決するために、患者のサブグループ分けとそれに対応する医療と予防法の確立というのが、“Precision Medicine” が目指す目標である。“Personalized Medicine”は薬の開発や治療が焦点であったが、“Precision Medicine”は精密な診断方法に基づく患者のサブグループ分類に焦点を置いている。また、疾病予防に関しては、“Personalized Medicine”では特段の考慮はされていなかった。

“Precision Medicine”の日本語訳は「精密医療」でよいのか?

 現在、“Precision Medicine”の日本語訳としては、「精密医療」という語が当てられている。人々は、言葉から直感的に連想するイメージで物事を理解してしまう傾向がある。たとえば、以前のGOクラブの特集では、「遺伝子検査」という語も一般市民の誤解を生んでいることを紹介し、用語の使い方には留意すべきことを訴えた。
 「精密医療」という語の場合、「精密な医療を行う」と直感的に解釈されてしまうので、“Precision Medicine”の本来の内容とは離れてしまう懸念がある。さらに、日本では、「精密機器を用いた診断を行い、医療を行う」という意味で、すでに一部で「精密医療」という語が使われている。したがって、この意味の「精密医療」と混同される可能性もある。
 
 Precisionの訳として、精密、正確、的確、精緻などが当てられるが、どれも“Precision Medicine”に内包される意味とは異なる気がする。“Precision Medicine”は、次世代シーケンサーなどを用いて「精密・正確」な分析を行い、その分析データに基づいて患者をカテゴリー分けし、そのカテゴリーごとに適合した医療措置を施す、あるいは予防医療を行うという意味であれば、「正確適合」から「適確」という語が適しているのはないかと考える。すなわち、“Precision Medicine”の日本語訳は「適確医療」となる。“Precision Medicine”の意味がわかりにくく、“Personalized Medicine”と同じではないかという向きもあるが、日本語訳として「適確医療」を当ててみると、「個別化医療」との差異が明確になるのではないかと思う。

“Precision Medicine”の将来展望

  米国ホワイトハウスは、“the Precision Medicine Initiative"について、
the Precision Medicine Initiative will pioneer a new model of patient-powered research that promises to accelerate biomedical discoveries and provide clinicians with new tools, knowledge, and therapies to select which treatments will work best for which patients.
ならびに
Participants will be involved in the design of the Initiative and will have the opportunity to contribute diverse sources of data including medical records; profiles of the patient’s genes, metabolites (chemical makeup), and microorganisms in and on the body; environmental and lifestyle data; patient-generated information; and personal device and sensor data. 
と発表している。
 この発表から、“Precision Medicine”の開始により、広範なヘルスケア情報関連ビジネスや簡易な診断機器ビジネスなどとも結びついて、本GOクラブの主題である「バイオデジタル革命」の推進につながると思われる。
 “Personalized Medicine”では創薬にも重点が置かれていたが、“Precision Medicine”では、まずは医療現場の医師、そして患者がメリットを享受できることが謳われている。“Precision Medicine”が普及した場合、製薬企業の創薬戦略が変わってくると思う。また、医療費が高騰する中、高価な再生医療やバイオ医薬品の目指す道との適合性についても議論が生じるが、過去に創製された低分子医薬品(特にジェネリック医薬品)がどのサブグループに「適確」なのか、再度研究される流れも出てくるであろう。患者がサブグループ分けされると、日本では患者数が少なくマーケットの規模が小さくても、世界に市場を求めれば大きなものがあるはずである。したがって、医療・製薬ビジネスはますますグローバル化が重要となることは間違いない。したがって、“Precision Medicine”は、米国ホワイトハウスが強調しているように、医療・製薬ビジネス業界のゲームチェンジャーになると予想する。