2014年6月9日月曜日

遺伝子検査・遺伝学的検査・ゲノム診断について考える(5)

 GOクラブでは、シリーズ記事「遺伝子検査・遺伝学的検査・ゲノム診断について考える」において、4回にわたって遺伝子検査と遺伝学的検査に関する話題について紹介してきた。本シリーズの最終回として、今後の個別化医療と予防医療の推進の軸となる「ゲノム診断」について説明しようと思う。


ゲノム診断とは

 まず、「ゲノム診断」という日本語があるわけでないが、本稿では、欧米で用いられている用語である“genomic diagnostics”または“genome-based diagnostics”の英訳として、「ゲノム診断」を用いることとする。
 「ゲノム診断」を端的に説明すると、「主に次世代シーケンサーによって個人や癌細胞のゲノム情報を網羅的に解析し、その解析結果に基づいて疾病の診断につながる情報を与える」ことを意味する。「遺伝子診断」の場合には、検査対象が遺伝子であるが、「ゲノム診断」の場合には、検査対象はゲノム(の一部)となる。
 個人ゲノム情報をもとに多面的な解析を行うと、医師が疾病の状態を見分けることができるほど十分な情報が得られることになるので、「ゲノム診断」という語を使うこととした。また、本稿で「ゲノム検査」という語を使わない理由としては、「ゲノム検査」の英語に当たる“genomic testing”という語の使用頻度が少ないことも挙げられる。なお、「検査」は、単に変異があるか、病原体の遺伝子があるかないか調べることを意味するが、「診断」は医師が「検査」結果をもとに疾病の状態を見分けることを意味する。
 「ゲノム診断」という語の使用は、ゲノム医療・診断で著名な東京大学医学部附属病院の辻省次教授のゲノム医学センターのホームページで使われているものの、それほど多くはない。

ゲノム診断の内容

  3月10日付けのGOクラブで、疾病発症に関わるゲノム・遺伝子の変異・異常を概説した。置換変異、欠失・挿入変異、転座、コピー数異常、DNAメチル化異常、およびmiRNAの発現変化などについては、次世代シーケンサーを用いれば、原理的には全て解析することが可能である。さらに、おおむね疾病発症に関わる変異・異常は個人ごとに異なると仮定すべきであり、また報告されていない変異や異常が見つかることも多い。したがって、「ゲノム診断」に用いる手法としては、既知の一塩基変異を分析するマイクロアレイ法は適切ではなく、多くの場合に次世代シーケンサーを用いた網羅的配列解析が必須となる。

 個人の細胞のゲノム情報解読以外に、ヒトに感染する病原体の検出やヒトに常在する菌叢の解析もゲノム診断の範疇に含めてよいだろう。これらの検出・解析も次世代シーケンサーを用いれば実施することができる。

 次世代シーケンサーを用いたゲノム診断のフローとしては、次のような工程が考えられる。
(工程1)被験者(または患者)からの組織・体液(ヒトサンプル)の採取
(工程2)ヒトサンプルからのDNA(またはRNA)の単離・精製
(工程3)NGS用ライブラリーの作製
(工程4)シーケンシング用サンプルの調製
(工程5)シーケンシング
(工程6)一次データ解析
(工程7)二次データ解析(配列マッピングやSNV・変異のコール)
(工程8)配列情報やSNV・変異情報のデータベース化ならびにアノテーション解析
(工程9)医療情報や疾病情報との連関解析
(工程10)工程8と9の結果に基づいた医師(または患者)に提示するレポートの作成

ジナリスが取り組むゲノム診断支援

  ジナリスは、次世代シーケンシング(NGS)の将来性を期待して、2007年8月に、次世代シーケンサーSOLiDを開発していたAgencourt Bioscience Corporation(現在、Beckman Coulter Genomics)と提携して、NGS受託解析事業の推進とゲノム医療研究の支援を進めてきた。

 ジナリスがNGS研究を推進する過程で、本シリーズ記事で紹介してきたように、真の個別化医療と予防医療を実現するには、SNP(Single Nucleotide Polymorphism;一塩基多型)ベースの遺伝子検査でなく、個人のゲノム情報(少なくともエキソーム配列情報)を解読することが必須であると確信した。各研究機関や医療機関でも次世代シーケンサーを用いた解析が日常的に行われるようになることを鑑みて、ユーザの手元で手軽にNGSデータを解析・管理・保管することを可能にするITシステム“GenaGenomeManager”を開発し、昨年秋発売した。

 また、エキソーム配列情報が個人の形質予測や形質発現に結びつく変異の同定に役立つことを実証するために、2年前にジナリス内で社員を中心とした56人のボランティアを募り、パートナー企業Beckman Coulter Genomicsと連携して56人のエキソーム配列情報を解読し、基礎的解析を続けている。

 ジナリスにおける56人のゲノム情報の解読は次の手順で行った。まず、倫理委員会を開催したうえで、各自に研究内容説明書を配布し、全員から同意書を取得した。その後、医療機関等における採血または唾液の自己採取を行い、匿名化作業を行った。採取サンプルからDNAを精製し、Agilent SureSelectでエキソーム領域を濃縮した後に、Illumina HiSeq 2500を用いてゲノム配列を得た。現在までは、アルコール感受性に関わる遺伝子の変異など非疾患の形質に関わる対象変異に限定して、ゲノム診断支援に関わる検討を続けている。

 ジナリスは、このような約7年間のNGS解析の経験をもとに、今年2月28日に、医療機関と提携して本格的なゲノム診断を支援する事業を推進するための組織である「株式会社ジェノサイファー(GenoCipher, Inc.)」を、がん疾患免疫治療で著名なテラ株式会社との合弁により設立した

 今後、これら活動を推進・拡大することにより、ゲノム診断の意義を広めるとともに、個別化医療と予防医療の実現に寄与していきたい。

解決すべき課題

  次世代シーケンサーを用いて、全ゲノムシーケンシングまたはエキソームなどの特定領域のシーケンシングを行う場合、領域ごとに得られる配列情報量にムラが出ることが問題の一つである。ターゲットキャプチャー法またはPCR法により目的領域を濃縮した場合、領域ごとに濃縮率が異なることは周知の事実である。全ゲノムシーケンシングを行った場合、この種のムラはなくなるが、コスト面から冗長度を高くすることができないので、配列情報が得られにくい領域が出現するという問題がある。

 NGSは発展途上の技術であり、まだ精度上解決すべき点も多い。生殖細胞系の変異であれば、サンガー法やリアルタイムPCRで確認できるが、がん組織の場合、がん細胞の混入率も多様で、低率であることも多いので、別の次世代シーケンサーによるシーケンシングによる確認も必要となるケースが出てくるであろう。

 日本で多くの企業が提供している遺伝子検査サービス(欧米のDTC遺伝学的検査に相当するサービス)は、消費者に直接提供するサービスである。ゲノム診断の場合には、原則疾病の罹患性あるいは疾病の状態を判断する検査を行うので、医療機関・医師を介して行う必要がある。

 ゲノム診断は、上述のように多数の工程を経て、診断に使われる情報が得られる。したがって、エラーなどが入る可能性も高くなるので、エラーが入らない仕組み作りが必要である。また、インターネットを介してデータや解析結果にアクセスすることは必須となるので、ネット面でのセキュリティーに関しては、頑強なシステムを構築する必要がある。

 遺伝子検査(DTC遺伝学的検査)の場合には、マイクロアレイやサンガーシーケンシング法を用いるので、安価な料金でサービスを提供できる。一方、ゲノム診断の場合は、1,000ドルゲノムが達成できたとはいえ、依然としてシーケンシングコストが高いうえに、膨大なデータ量が産生されるので、ITコストも高く付く。このNGSのコスト低減は、今後解決すべき課題の一つである。