2014年5月22日木曜日

1,000人ゲノムから100,000人ゲノムへ(後編)

 前回のGOクラブと今年3月24日付のGOクラブでは、英国、米国およびサウジアラビアで、10万人規模の個人ゲノム解読を行い、医療記録などの情報との関連性を調べることにより、疾病原因変異を探索するプロジェクトが多数開始されていることを紹介した。今回のGOクラブでは、Regeneron Pharmaceuticals, Inc. (Regeneron) が推進している10万人ゲノムプロジェクトなど、製薬バイオテク企業が取り組む次世代シーケンシング(NGS)利用プロジェクトについて紹介する。


Amgenが進めるNGS利用プロジェクト

 世界トップの製薬バイオテク企業であるAmgen Inc. (Amgen) が、NGSの活用による疾病変異に着目した本格的な創薬研究を重点化したのは、公式発表上は、2012年末のdeCODE genetics(deCODE)を415百万ドルで買収してからであるdeCODE(1996年設立)はアイスランドのゲノム解析ベンチャー企業であり、約30万人のアイスランド人のSNP情報、3,000人のゲノム配列情報(冗長度30倍の全ゲノム配列情報)および4千万個の塩基バリアント情報を保有している。また、世界中で200万人以上のDNA解析を行った実績を有する。

  Amgenは、買収したdeCODEをベースに、個人ゲノム解読プロジェクトを強化している。まず、今年1月にIlluminaが発売を開始したHiSeq X Tenを、deCODEが購入することを決めた。がん疾患や循環器疾患の原因変異の探索を強化することが目的のようである。そしてAmgenは、Massachusetts General HospitalとBroad Instituteと組んで、IBD (Inflammatory Bowel Disease;炎症性腸疾患)患者のゲノムシーケンシングにより疾患原因変異を同定し、新しい治療法の開発を行うことを今年1月15日付で発表した。IBDについては世界中で何百万人もの患者がいるが、有効な治療法が見つかっていない。また、多くの場合、遺伝子の変異が関与することがわかっているが、発病に関わる変異の解明が進んでいない。これまでに、ゲノム中で163ヶ所のローカスが発病に関わっていることが報告されている。
 また、AmgenとIlluminaが共同して、NGSを使った本格的遺伝子診断を開始することを今年1月15日付で発表した。具体的には、世界で初めて体外診断用次世代シーケンサーとして認可されたMiSeqDxシステムを用いて、Amgenのがん治療薬ベクティビックス(パニツムマブ)のコンパニオン診断検査法の開発を進める。さらに、Amgenは、今年2月17日付で、中東とアフリカでMiSeqDxを用いた、がん遺伝子RASの変異を検査する事業を開始することも発表した。Amgenはこれまで中東、アフリカおよびアジア地域の国々での治療を推進する体制(Alliance Global Group)を構築しているが、このRAS診断プロジェクトは、アルジェリア、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、エジプト、クウェートで始めた後に、中東やアフリカの他の国々にも拡大していく方針である。これは、EGFR (Epidermal Growth Factor Receptor)を標的とする抗体医薬、ベクティビックスの利用促進が目的と思われる。

Regeneronが進める10万人ゲノムプロジェクト

  Regeneronは世界で第5位(または第6位)の米国製薬バイオテク企業(1998年設立)である。Regeneronは、今年1月13日に疾患ゲノム研究を推進するセンター(the Regeneron Genetics Center LLC)の開設を発表した。また同日に、ペンシルベニアで約300万人の住人に医療サービスを提供している医療機構である、Geisinger Health System(以下、Geisingerと略す)と提携して、新薬の開発とより良い医療の提供を目的として、10万人の患者のゲノム情報を解読するプロジェクトを推進することを発表した。具体的には、Geisingerの医療機関で医療を行う患者に対してインフォームド・コンセントを取り、サンプルを収集し、そのサンプルをもとにRegeneron Genetics Centerがエキソームシーケンシングを行う。そのシーケンシングにより得られた変異情報と医療記録情報とを照合することにより、疾病の原因を特定するのが狙いである。

 RegeneronのCSOであるGeorge Yancopoulos氏は、「Regeneronはこれまでにも遺伝学に注力してきたが、SNPを中心とするヒトゲノム情報では、疾病の原因の同定とそれに基づく新薬開発には不十分であった。NGSのコストが大幅に下がり、今が大規模個人ゲノム解読への投資に適切な時期である」という旨のコメントを発表している

製薬バイオテク企業のNGS利用のがんゲノム研究

  Foundation Medicine, Inc. (Foundation Medicine) は米国のバイオベンチャー企業であり、がん関連遺伝子をNGSにより網羅的にシーケンシングすることで、各がん患者のがん変異を同定し、患者の個別化医療を支援することを目指している。製薬企業の新薬開発が主な目的であり、すでに15社以上のバイオテク企業とや大手製薬企業と提携していると発表している。

 Foundation Medicineが最初に提携した製薬企業はNovartis International AGであり、2011年1月4日に契約締結を発表している。比較的早期にFoundation Medicineと提携した製薬バイオテク企業としては、2011年5月17日に契約を締結した世界第3位のCelgene Corporationが挙げられる。日本の製薬企業では、2012年10月9日にエーザイ株式会社が提携を発表している

 1976年設立の著名なバイテオク企業Genentechは、2009年にロシュに買収されたが、Genentech単体としてはAmgenに続く売上を持つ製薬バイオテク企業である。Genentechは、自社プロジェクトとしてNGSを活用したがんゲノム研究に注力し、多数の科学論文を発表している。最近、88種類のがん遺伝子をNGSにより網羅的にシーケンシングするがん遺伝子パネルの開発を発表しておりニュースにも取り上げられている

製薬バイオテク企業のNGS利用の免疫疾患研究

  GOクラブでは、以前「T細胞・B細胞受容体シーケンシングビジネスの勃興(前編中編後編)」で、NGSを利用したT細胞受容体とB細胞受容体の解析を行うバイオベンチャー企業の動向を紹介した。これらバイオベンチャー企業の中で、Adaptive Biotechnologies Corporationは、世界第4位の製薬バイオテク企業であるBiogen-IDECや大手製薬企業であるBristol-Myers SquibbJohnson & Johnsonとの提携を発表している。

個人ゲノムプロジェクトにおける欧米と日本の違い

  すでに公表されている情報をもとにすると、多くの製薬バイオテク企業は、積極的に大規模なNGS利用研究開発プロジェクトを創薬プロセスに組み入れている。欧米の大手製薬企業は、自社研究よりも、Foundation Medicineなどのゲノムベンチャーとの提携によりNGSを創薬に活かしているようである。一方、日本では、大手製薬企業もバイオベンチャーも大規模にNGSを利用しているというニュースはエーザイくらいである。

 これまでのGOクラブの特集記事でも紹介したが、日本では民間企業も国も、すでに終わった一昔前の「遺伝子検査(DTC遺伝学的検査)」に話題が集中するなど、時代から取り残されている感が否めない。また、米国では1企業が10万人ゲノムプロジェクトを推進している現実を見ると、日本は科学技術立国と標榜しているものの、民間企業も国も世界から取り残されているのではないかと危惧を覚える。