2012年1月10日火曜日

未来を考える(第1回:DTC genomics ベンチャーと予防医療)

 昨年は、Life Tech社とIllumina社から、デスクトップシーケンサー(Ion Torrent PGMシーケンサーとMiSeqシーケンサー)が発売され、ゲノム研究もゲノムセンターから一般研究室に普及する時期に移行したと言える。この次世代シーケンサーの普及がもたらす社会変革について、GOクラブで今後何回かに渡って考察してみたいと思う。次世代シーケンサーの登場が大きな変革をもたらす主な分野は「医療」である。すでに「個別化医療」への応用は始まっているが、未来を考えた場合、何よりも「予防医療」を普及させる大きな原動力になる違いない。今回は、次世代シーケンサーが拓く「予防医療」について考えてみたい。


DTC genomics ベンチャーとは

 まず、「予防医療」を考える上で、Direct-To-Consumer(DTC)genomicsベンチャー企業の誕生を考察してみる。DTC genomics ベンチャーとは、23andMeKnomeNavigenicsなど、直接一般消費者に対してゲノムワイドな遺伝子検査サービスを提供する民間企業のことを指す。医療・診断はFDAなどの管理のもと、医療機関がサービスを提供することは当然であるが、米国では、市民が欲するものをベンチャーが、当局の規制などに臆せず、いち早く提供しようと民間企業が新しいサービスを切り開いていく文化がある。DTC genomics servicesもこのような文化から誕生したサービスと言えよう。
 診断とは、認可された機関が医療目的で行う行為であるが、DTC genomics ベンチャーが提供するゲノム解析サービスは、非医療機関が一般消費者に対して個人の健康管理のために提供するので、この検査サービスを「ゲノム診断」でなく、「ゲノム検査」と呼ぶことにする。今回のGOクラブでの考察を逸脱するが、このDTC genomicsベンチャーが提供する「ゲノム検査」は、医療を超えて、運動能力、知的能力、性格分類、相性診断、親子鑑定、祖先推定などにも及ぶと予想されるので、社会・文化に及ぼす影響は計り知れないものとなる。北里大学大学院医療系研究科・高田史男教授は、この「ゲノム検査」の台頭が診療に及ぼす影響は非常に大きいと予測し、「遺伝子診断の脱医療・市場化が来す倫理社会的課題」研究班を立ち上げて研究調査活動を推進している。このDTC genomics ベンチャーが将来社会に及ぼす影響については、また別の機会に詳しく考察してみたい。

予防医療とは

 従来の医療(疾病診断・治療)は、自分から見れば、医療機関で疾病に罹患しているか診断を行ってもらい、疾病を治療してもらうという「(他人による)Sick Care」であった。一方、「予防医療」とは、将来疾病に罹る可能性があるか、可能性があるなら、自己の努力により疾病の発症を未然に防ぐ、あるいは疾病の進行を遅らせるようにする「自己の責任において自助努力的に行うHealthy Care」となると思われる。我々は、これまでは、将来病気に罹患するか知る手段がほとんどなかったので、適宜健康診断を行い、疾病に罹患しているなら、適切な治療を受けることを行ってきた。一方、人々は「病になりたくない」という欲求を持っているので、疾病の予防は重要な課題であった。次世代シーケンサーの登場がその課題を解決することになる。ただし、予防薬を開発・販売することが困難であるように、医療機関が予防医療を提供する姿は見えていない。そこで、一般消費者の欲求を見越して、DTC genomics ベンチャーが誕生したと言えよう。

医療経済的評価による将来予測

 欧州でも米国でも膨大な額の財政赤字を抱えている。我が国も約1000兆円の財政赤字が累積している。このような状況の中、国民の立場に立てば、将来の医療については医療経済的評価を加えることが重要となる。米国で次世代シーケンサーの開発を重点化している理由として、予防医療を普及させて医療費を削減する狙いがある。この問題については、弊社が日本臨床化学会の学会誌「臨床化学」Vol.40 No.2に寄稿した総説で論じているので、その総説を参照されたい。
 これまで製薬企業による新薬開発により、多くの疾病に対する治療薬が生まれた。抗生物質、高血圧治療薬、抗アレルギー薬、高脂血薬、糖尿病治療薬、抗精神薬、脳疾患治療薬、広い癌種に効く抗ガン剤など、治療薬の多くが患者数が多い疾病の治療薬である。この事情は、公的健康保険により賄われる医療は、国民に広く還元されるべきものであるという理念と一致していた。ところが、最近の先端的な新薬・治療法の開発の対象は、抗体医薬、細胞治療、再生医療のように、比較的限定された患者に対する新薬・治療法であり、しかも1人に対する治療費は高額なものになりつつある。この傾向は、解決困難な財政難および公的健康保険の精神と相容れない問題を引き起こすように思える。医療経済的に考察した場合、医療機関・治療行為・診断行為に支払う経費は必要不可欠なので、治療薬についてはジェネリック薬やバイオシミラー医薬品の利用が促進されていくことは必然的なトレンドとなろう。
 米国では、将来新生児全員に対して、次世代シーケンサーを用いたゲノム診断を計画していると言われる。個人ゲノム解読のコストは急速に低減していくので、近い将来、個別化医療と予防医療に役立つ「次世代シーケンサーによるゲノム解読」が健康診断の一環として公的健康保険の補助も得て実施されるようになるであろう。この次世代シーケンサーによる個人ゲノム解読は、「個別化医療」と「予防医療」の両面で、国民に広くベネフィットをもたらすと予想される。