2014年7月23日水曜日

Quasispeciesと医療

 前回のGOクラブでは、Quasispeciesの概要を紹介し、Quasispeciesが主に微生物分野へ及ぼす影響について論じた。今回のGOクラブでは、Quasispeciesが医療分野へ及ぼす影響について概説したい。


Viral quasispecies

 Quasispeciesの研究は、特にウイルスの分野において精力的に進められてきた。ウイルスは複製過程で変異が導入される確率が高いため、Quasispecies現象は避けられない問題である。ウイルスが増殖・複製する際の突然変異率の高さは、強毒性ウイルスの誕生や薬剤耐性ウイルスの発生につながる。そのため、このようなウイルスの変異体は、ウイルス病の疫学や治療で極めて大きな問題となり、注目されてきた。ウイルス疾患の治療にあたっては、抗ウイルス剤の2剤同時投与を行うなど、Quasispecies現象を前提とした治療が望まれる。

ヒトの個体レベルでのQuasispecies

 個人のゲノム配列は1種類で、その配列は両親から受け継ぐものと考えれていた。しかしながら、最近の次世代シーケンシング(NGS)研究により、個人の起源となる受精卵の段階で、両親の体細胞ゲノム配列とは異なる塩基変異・バリエーションが100個程度存在することは、すでにGOクラブで紹介した。

 この現象の理由は、配偶子である生殖細胞の中に、両親の体細胞ゲノム配列とは異なる塩基変異・バリエーションが発生していることに由来する。これは、生殖細胞発生の間に一定頻度の塩基変異が起こることで、体細胞と異なる塩基変異・バリエーションが生殖細胞に生じるためである。また、ヒトの発生過程全体を通しても、細胞分裂・染色体複製の際には一定頻度で塩基変異が生じている。したがって、個人の体には、わずかずつ配列が異なる膨大な種類のゲノム配列が存在し、いわゆる「モザイク構造(=Quasispecies)」となっている。このようにして生じる個体内の塩基変異・バリエーションは、疾病発症の一因ともなっていることも最近明らかになっている。

T細胞とB細胞のQuasispecies

  T細胞とB細胞はそれぞれT細胞受容体とB細胞受容体の配列内に変異が入りやすいことから、まさにQuasispeciesそのものである。このQuasispeciesの集団の中から、胸腺教育やリンパ節における選択などを経て、特定の抗原を認識するT細胞やB細胞が選択的に増殖されることになる。このT細胞受容体とB細胞受容体の配列のバリエーションを、NGSで解析することに重点を置くベンチャー企業が多数誕生したことは、以前のGOクラブでも紹介した。NGS解析領域では、T細胞受容体とB細胞受容体のシーケンシングが今後ますます注目されるようになるであろう。

がん組織のQuasispecies

  がん化は、多種類のがん関連遺伝子に、変異が段階的に入ることにより起こることが明らかになっている。がん組織を採取してNGS解析を行うと、多くの場合、正常細胞以外の「がん細胞」は単一のゲノム配列を有してはおらず、がん組織は様々に異なる変異を保有した不均質な細胞集団から成る組織といってよい。すなわちQuasispeciesを形成しているといえる。その結果、抗がん剤に耐性を示すがん細胞が出現したり、悪性度が高いがん細胞の発生につながることも起こりやすい状況にある。

CHO細胞のQuasispecies

 CHO細胞は、抗体医薬などのバイオ医薬品の生産のための宿主細胞としてよく利用される、チャイニーズ・ハムスターの卵巣由来の細胞である。CHO細胞は1957年にTheodore T. Puck博士らによって樹立され、この細胞を親株として、今日まで非常に多くの種類の遺伝子型や表現型を持つCHO細胞の娘株が得られている。このようなCHO細胞の歴史から、種々のゲノム配列を持つCHO細胞に対して、“CHO Quasispecies”という名称が使われている。CHO細胞株は増殖過程で、点突然変異以外に染色体の構成などに異常が生じやすいので、バイオ医薬品の生産の際には留意が必要であろう。

研究用細胞株と実験動物のQuasispecies問題

 CHO細胞と同様に、研究用に使われる細胞株の多くも、継代中に染色体の構成などに異常が生じやすい。したがって、同じ細胞株でも研究室ごとに性状が異なる可能性もある。さらに、実験動物においては、純系マウスのような遺伝的に均一と考えられている動物でも、ブリーダーにより性質が異なることがある。このように、ヒトだけでなく、各種細胞株や動物もQuasispecies現象は起きていることを前提に、研究や医療を進めていくべきであろう。

iPS細胞とQuasispecies

  iPS細胞を用いた再生医療では「がん化」が懸念されている。その理由として、がん遺伝子c-MycをiPS細胞の樹立に使った場合にがん発生の確率が高くなるほか、iPS細胞樹立のときに遺伝子導入ベクターとしてレトロウイルスを使ったときに、染色体にランダムに挿入されることも原因の一つである。

 さらに、最近iPS細胞を樹立する際に、数百の点突然変異が導入されることも明らかにされた。また、細胞分裂中には一定の確率で変異が入るので、iPS細胞が増殖する過程でも突然変異が入るであろう。このように、同一の個体・細胞から作製されたiPS細胞であっても、樹立とその後の増殖によってQuasispeciesになるので、iPS細胞を用いた再生治療においては、がん化などの異常を与える変異が導入されていないか、次世代シーケンサーを用いて検査することが必須になると予測する。

Quasispeciesの解析に貢献する次世代シーケンサー

 今回のGOクラブも含め2回に渡り、微生物でも高等生物でも、Quasispeciesは身近に認められる現象であり、これまでの生物に対する見方を変える必要があることを述べた。細胞塊をまとめてNGS解析を行うことにより、細胞ごとの変異の存在や配列の違いを明らかすることができる。また、1細胞ごとのゲノムシーケンシングも可能になってきているので、次世代シーケンサーの利用は、個々の細胞ごとの配列の違いに基づく現象の解明に役立つとともに、医療分野でも大きく貢献するであろう。特に、iPS細胞を用いた再生医療では、個別に細胞を分化・増殖させることから、次世代シーケンサーを用いた品質管理は必須なものになるであろう。