2012年9月26日水曜日

PathGEN Dxが7万種ヒト病原体の一斉同時検査キットを発売

 前回のGOクラブでは、今年7月12日に、米国のカリフォルニア大学Davis校とFDAの食品由来病原微生物10万種類ゲノムプロジェクトの開始について紹介した。この発表を意識したのかどうかわからないが、8月23日に、シンガポールのベンチャー企業“PathGEN Dx Pte. Ltd. (PathGEN Dx)”が、「AffymetrixのDNAチップを用いて7万種類のヒト病原体を一斉同時検査できるキットを発売する」ことをアウナンスした。今回のGOクラブでは、この病原体キットの内容を紹介するとともに、次世代シーケンサーによる病原体検査との比較について考察してみたいと思う。


PathGEN Dxの病原体検査技術

 PathGEN Dx は、シンガポール科学技術研究庁(A*STAR)のthe Genome Institute of Singaporeからスピンオフした第1号ベンチャー企業であり、ゲノム情報利用の病原体検査技術の開発を推進している。PathGEN Dx による病原体検査技術の開発は、2004年に始まり、2008年からExploit Technologies研究資金の支援を受けて開発を加速化し、このたび製品上市に辿り着いた。

 今回発表した病原体検査キットは、AffymetixのGeneChipを用いているが、DNAチップを用いて病原体由来DNAを検出する場合には、ターゲットDNAの増幅は必須である。少数の病原体の検出であれば、特異的プライマーを設計し、PCR増幅を行って、DNAチップ実験を行えばよい。しかしながら、7万種類の病原体を検査対象とする場合には、被験サンプルのPCR増幅を行う際に、7万種類の病原体DNAをもれなく均一に増幅でき、また同時に増幅されるヒト細胞由来のDNAなど他のDNAがDNAチップにクロス・ハイブリダイゼーションしないことが求められる。7万種類の病原体DNAのPCR増幅の際に、特異的なプライマーを用いてバイアスがかからないようにPCR反応を行うことは極めて困難であるし、ランダムプライマーによるプライミングの場合、増幅バイアスが生じるという問題がある。PathGEN Dx は、このようなランダムプライマーを用いたときの問題を解決し、成果を下記の2つの論文に発表している。

・(論文1)CarWong, C.W. et. al. Optimization and Clinical Validation of a Pathogen Detection Microarray. Genome Biology. 8:R93. 2007

・(論文2)Lee, W.H. et al. LOMA: A Fast Method to Generate Efficient Taged-Random Primers Despite Amplification Bias of Random PCR on Pathogens. BMC Bioinformatics, 9:368. 2008

  論文1では、まずウィルスゲノムの検出を取り上げて、ウィルス核酸由来のシグナルが適正になるように、DNAマイクロアレイ(Nimblegen社製)のプローブのデザインを検討した結果が示されている。次に、26 merのランダムプライマーを使ったRT-PCR法を用いて、病原体の核酸を鋳型としてハイブリ用DNAの増幅を行っているが、この26 merのうち、5’端の17 merは固定のタグ配列(PCR反応を行うときのプライマー配列)である。3’端の9 merはランダム配列となっており、ウィルスのRNAを逆転写するときに利用される。なお、このタグ配列はRT-PCR反応でのバイアスが少なくなるものを選択している。さらに、DNAマイクロアレイのデータをもとに、より良く病原体を検出できるアルゴリズム(PDAと命名)を開発した。これらの工夫により、DNAマイクロアレイを用いた方法により36人の患者を検査して、94%の精度(感度76%と特異性100%; 感度と特異性の説明については後述する)で病原体を検出できたことが報告されている。

 論文2では、17 merのタグ配列の種類により、病原体ゲノム中で増幅されない領域が多く存在する問題を指摘している。この問題を解決するために、LOMAと名付けた新アルゴリスムを開発し、その17 merの配列をデザインすると、病原体ゲノム内での増幅バイアスが少なくなることが報告されている。

病原体7万種検査キットPathGEN PathChip Kitとは

 今回発売された病原体7万種検査キットPathGEN PathChip Kit は、AffymetixのGeneChipを利用したキットであり、試薬や解析ソフトウェアも添付されている。データ解析はインターネットを介して行われる。検査は、被験サンプルの採取、RT-PCR反応によるDNA増幅、GeneChip実験、データ解析という流れで進められ、24時間以内で終了する。

検査対象の病原体は、「59ファミリー・159属の50,000種以上のウィルス」と「26属の20,000種以上の細菌」であり、「病原性真核微生物」は検査対象となっていない。本検査キットを用いた病原体検査の精度は下記の通りである。なお、「感度」や「特異性」などの指標については、後述の説明を参照してほしい。

・感度(sensitivity)= 88%±8%
・特異性(specificity)=98%±1%
・真陰性率(NPV)=98%±2%

次世代シーケンサーによる病原体検査との比較

 PathGEN Dxが今回発表した病原体検査キットの検査精度は、予想外に優れているという印象を抱く。DNAマイクロアレイを用いた網羅的病原体検査で予想される欠点は克服されているといえる。残された解決すべき課題としては、検査が1日近くかかるという点と定量性がないという点であろう。

 DNAマイクロアレイに対して、次世代シーケンサーを用いて病原体検査を行った場合に優位性があるだろうか。PathGEN Dx が開発したランダムプライミング法を用いて調製したDNAをシーケンシングすれば、配列が得られるので、より良い解像度とより高い精度で判定ができるであろう。しかしながら、どの程度deepに配列決定を行えば、感度の高い検査が行えるかは不明である。コスト面では当面DNAマイクロアレイの方が有利であると思われる。NanoporeシーケンサーやIon Torrentシーケンサーを用いれば、検査時間は短縮できるであろう。また、次世代シーケンサーを用いると、ある程度定量的な分析が行えるであろう。

 前回のGOクラブでは、米国の食品由来病原微生物10万種類ゲノムプロジェクトにAgilent Technologies Inc. も参画していることを述べた。Agilentは次世代シーケンシングにおいてtarget captureでSureSelectという優れた製品を持っている。病原体検査でも、10万種類ゲノムプロジェクトの成果を用いて、このtarget captureにより病原体の核酸を特異的に濃縮した後で、次世代シーケンサーによる配列決定を行うと、より精度が高く、かつ安価に病原体を検査できることが期待できる。

(補足)感度、特異性、真陰性率

 今回のようなマイクロアレイを用いてウィルスの種類を判定する検査における感度(sensitivity)、特異性 (specificity)、真陰性率(true negative rate)について説明する。なお、真陰性率は陰性的中度(negative predictive value)とも呼ばれる。

ある検査を行ったときに、特定のウィルスに対して陽性と判断した数をPPとし、そのうち、真陽性をTP、擬陽性をFPとすると、PP = TP + FP となる。陰性と判断した数をPNとし、そのうち、真陰性をTN、擬陰性をFNとすると、PN = TN + FN となる。感度、特異性、真陰性率はそれぞれ下式により与えられる。

・感度=TP/(TP+FN)  〔もれなく真陽性を検出できる精度(%)〕
・特異性=TP/PP=TP/(TP+FP)  〔陽性として判断した検体が、正しく陽性と判定できる精度(%)〕
・真陰性率=TN/PN=TN/(FN+TN)  〔陰性として判断した検体が、正しく陰性と判定できる精度(%)〕

なお、PathGEN Dxの検査の場合には、1患者で複数種のウィルスを同定する場合もある上、ウィルス種まで予測・同定する検査であるが、大腸がん検査のような二項分類の場合には、感度と特異性は下式により与えられる。

・感度=TP/(TP+FN)
・特異性=TN/(FP+TN)